当研究所が目指すもの

当研究所では、唯物論に立脚したマルクス経済学、近代経済学とは一線を画した「国民を真に豊かにする経済学」の研究および応用を行います。

率直に言えば、これまでの経済学は、数式やイデオロギーが駆使されてはいるものの、「国民の豊かさ」=「国民の生活実態」とは無縁の「机上の空論」であったといえます。

したがって、このような「経済学(者)」によって推進されてきた「経済政策」が国民を「真に豊か」にしたことが無いのもうなずけます。

特に、近年では、政府の繰り出す経済政策に対応して要領よく立ち回る富裕層と「机上の空論」から取り残された「生身の一般市民」との格差が大きな問題になっています。

経済学の祖とも言われるアダム・スミスは、実は道徳哲学の教授であり、有名な「国富論」は、「道徳感情論」という当時のベストセラーの、「世の中の現象の一部である経済活動」に特化した別冊にしかすぎませんでした。

つまり、経済(学)とは「国民が豊かになるための社会活動」のごく一部にしか過ぎないのです。したがって、社会や人間を知らずして経済を語ることはできません。「人間経済科学研究所」の「人間」にはそのような強い思いが込められています。

また、「科学」という観点から言えば、現代の経済学はコペルニクスやガリレオの時代の ような「天動説」が主流の段階だといえます。今から考えれば「天動説」はとんでもないということになりますが、当時の「地動説」と比べると「理屈」ははるかに洗練されていてそれなりの説得力はあったのです。

「経済」における「実験」「実証」は簡単では無く、「天動説」と「地動説」の論争のように白黒をつけることは簡単ではありません。しかしながら、科学の手法には「観察」という優れたものがあります。例えば「ファーブル昆虫記」が有名でしょう。

我々は、国民生活の中で多くを体験し、かつ観察することによって「国民を豊かにする経済」の在り方を見出します。

また、アダム・スミスは、多くの自然科学者との交流の中で、「科学的思考法」によって経済を捉えました。さらに、人間を理解するためには「芸術」や「宗教」に関する深い洞察も必要です。

当研究所には、いわゆる経済、金融、ビジネスの専門家だけでは無く、自然科学、芸術、宗教の専門家が多数参加し、「大局的視点」から経済(学)を捉え直します。

(代表パートナー・大原浩)

特別顧問・有地浩からのメッセージ

現在、世界の多くの人々が物価上昇に苦しんでいる。また、ビリオネア(十億万長者)と呼ばれる大金持ちが多数現れる一方で、明日の食事代にも事欠く貧困層が増えて人々の間の格差が拡大し続けているが、経済学はこれらの問題を解決できないでいる。

一般に経済学は第二次大戦後急速に進化・発展したと言われているが、こうした現実を前にして現代経済学に対する不信感を募らせる人は多いだろう。

ディアドラ・N・マクロスキーという経済学者は、その著書「ノーベル賞経済学者の大罪」(赤羽隆夫訳、筑摩書房刊)において、「今日の経済学は欠陥学問である。方法論が誤っており、そのため間違った成果しか得られていない」と決めつけている。経済データを数式で処理し、そこから得られる理論を実際の経済に機械的に適用しようとする。そんな現代の経済学者たちを痛烈に批判しているのだ。

経済活動は言うまでもなく人間が営むものだ。そこでは物やサービスの動きだけでなく人々の心の動きが大きな働きをしている。近年注目されている行動経済学は、人の心理の経済活動に与える影響を解き明かそうとしているが、まだまだ語学に例えればアルファベットを覚えたぐらいのレベルでしかない。

良く知られていることだがケインズは株式市場の動きを美人投票に例えた。市場では客観的に最も美しい人が選ばれるのではなく、様々な思惑を抱く市場参加者の票が最も集まった人が美人として選ばれるとした。

しかし株式市場の動きに限らず、一般的に経済活動の分析・予測に当たっては人々の心の動きにスポットライトを当てた人間的アプローチが不可欠だ。この点は当研究所を主宰している大原浩が以前から指摘していることであり、私も同じ考えを持っている。

(参考記事)
今こそ経済学ルネサンス:「国富論」に戻れ!

今こそ経済学ルネサンス

物理学と呼ぶべきものがギリシャ時代・ローマ時代に無かったわけでは無い。しかし、現代物理学の基礎を構築しその後の発展をもたらしたのが、サー・アイザック・ニュートンであることに異論はないであろう。

同じく「進化論」の礎を築き、「進化」という全く新しい概念(今では当たり前のことのように思われているが、キリスト教的世界観が根強く支配していた当時は、簡単に言えば「エデンの園を追われた人類はどんどん退化しているのだから、元の完全な状態に戻らなければならない」というような世界観が支配していた)を生み出したのが、チャールズ・ロバート・ダーウィンである。

同様に、ダーウィンよりもはるか前に、社会・経済を冷静かつ鋭い分析力で整理整頓し、体系化したのがアダム・スミスである。

スミスは人間の「進化論者」であり、「経済学の父」ともいうべき偉大な人物だ(本業は道徳哲学の教授であるから、まさに「一から独力ですべてを成し遂げた」わけである)。

アダム・スミスの「科学的手法」のベースは「豊富なデータ」と鋭い観察眼による「現地現物」という二つの要素にある。

まず、「豊富なデータ」という部分においては、「国富論」が出版されたのが日本で言えば江戸時代の中盤であるということを考慮しなければならない。

この本が出版されたのが1776年(1789年の第5版が生前の最後の改訂版)。享保の改革で有名な第8代将軍徳川吉宗が没したのが1751年。安永5年(1776年)には平賀源内がエレキテルを製作し、アメリカの独立宣言も行われている。

このような時代に本書に収録されているようなデータを集めるというのは、当時の欧州が文化的・経済的に高度な発展を遂げていたと言っても、並大抵の努力ではできない。この豊富なデータの裏打ちによる分析が本書の説得力を高めている。

二つ目の「現地現物」は、トヨタ生産方式の根幹をなすものだが、「例え社長や役員であっても、本社に閉じこもっていないで、工場の現場や販売店で【現実】を見てから判断を下す」ということである。

本書でも、アダム・スミスの商売(ビジネス)、貿易どころか庶民の生活に至るまでの精通ぶりには驚かされる。象牙の塔に閉じこもらずに、庶民の中に飛び込んで色々と調べたのは事実のようである。そのおかげで本書でも【経済行動における人間の本質】が生き生きと描かれている。

マルクス経済学と近代経済学による暗黒時代からの脱出

(日本における) 江戸時代中期には、素晴らしい経済に関する理論体系が欧州で完成していたのに、その後数世紀を経ても、経済理論は進化するどころかむしろ退化しているように見える。

その原因は、マルクス経済学と(いわゆる)近代経済学にあると言える。

マルクス経済学がすでに破たんしていることは、だれの目にも(一部の共産主義者は除く)あきらかなので、ここではあえて論じない。近代経済学の最大の過ちは、数式で人間の営みを理解しようとしていることだ。

例えば「国富論」には、数式・方程式の類は一切出てこない。また、現代のビジネスにおける賢人の代表である、ピーター・F・ドラッカー、マイケル・E・ポーター、ウォーレン・E・バフェットたちの著作や発言に数式・方程式が出てくることもまず無い。

もちろん、経済の根幹を為すビジネスにおいて数式や方程式など全く必要が無いからだ。それなのに、経済学で数式・方程式をぶんぶん振り回すのは馬鹿げた行為である。

特にバフェットは「投資に必要なのは足し算、引き算、掛け算、割り算だけだ。もし、投資に高等数学が必要であれば私が成功することは無かっただろう」と述べている。投資家として成功しただけではなく、一代でバークシャー・ハサウェイというGAFAMに並び立つ企業帝国を築き上げた事業家でもある彼の言葉は重みがある。

また、経済は人間の営みであるという正しい認識を持てば、経済は「観察」によってしか理解できない、ということがはっきりわかる。

「動物学」の中でも、人間にもっとも近いサルの社会を理解するときに、数式や方程式を使うだろうか?彼らの社会を理解するには、まず観察。そして可能な範囲での実験を繰り返す(念のため、物理学と違って全く同じ条件での再現実験は難しい)。彼らの社会を一発で解き明かす数式や方程式など存在しないのだ。

それなのに、サルよりもはるかに複雑で巨大な人間社会の営みである経済の謎を(ニュートン力学や相対性理論のように)一発で解き明かす方程式などありえない。

例えばロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は、ロバート・マートンとマイロン・ショールズというノーベル経済学賞・受賞者をはじめとしてそうそうたるメンバーをそろえていたが、1998年に破たんした。

それでも、なぜいまだに経済学者が数式・方程式を振り回すのか?それは「お経は意味が分からなくて長いほど有り難い」のと同じだ。

まったく意味が分からないサンスクリット語(古代インドの言葉)のお経を聞かされても足がしびれるだけだが、意味が分からないからこそ、なんとなくお経をあげているのが「徳の高い僧侶」のような気がする。

同様に、一般の人にはよくわからない方程式を振りかざしていると、中身が無くてもなんとなく立派な学者に見えるというわけだ。

形だけのお経に振り回されてきた経済政策を、現実の経済をしっかりと見据えて立て直すべき時が来ていると思う。

©初出・アゴラ2019.02.19:「今こそ経済学ルネサンス:「国富論」に戻れ!」

こちらもぜひご参照ください

●国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

●国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(下)

●「ノーベル賞経済学者の大罪」ディアドラ・N. マクロスキー (著)

JKK 設立物語

当研究所設立の発端は、十数年前に遡ります。IFC(国際金融公社:世界銀行グループの機関)の東京駐在特別代表であった有地が、大原が所属するロータリークラブ(当時:東京神宮ロータリークラブ)へ卓話(セミナー)の講師として招かれたことが二人の初めての出会いです。

その卓話の素晴らしい内容と、超エリートにもかかわらず飾らない人柄に感銘を受けた大原は、名刺交換した後すぐさまメールで、大原が主宰するグルメの会に誘います。

「まさか来るはずが無いだろうな・・・」と思っていると、有地がふらっとやってきます。
そのグルメの会で意気投合した二人は、定期的に飲み屋で色々なことを語り合うようになります。

二人は、人がいつも合理的に行動することを前提とし、マクロ経済統計を中心に机上で物事を考える伝統的な経済学に疑問を持っていました。「もっと現実の社会の中にわけ入って、人の心理や人と人の関係を踏まえた経済の見方が必要だ」というのが二人の共通の思いでした。二人は行動する学者インディ・ジョーンズのモデルの一人と言われているエドガー・バンクス(アメリカ人の考古学者、外交官、作家)(※1)を理想とし、ビジネスの世界で自らの考えを実践することを好んでいました。

こうした二人の波長があったのが「客家大富豪18の金言」(※2)という本でした。これは、中国の鄧小平、シンガポールのリー・クアンユー等の政治家や多くの華僑の大富豪を輩出した客家と呼ばれる人々の人生とビジネスの知恵をテーマとした本ですが、その内容は二人の理想とする「人と人とのコミュ二ケーションが主体となった経済の科学」=「人間経済科学」にズバリ、フィットしたのです(ご興味のある方はご一読ください)。

その後、二人でこの本の勉強会を立ち上げ、長年にわたって議論・研究を重ね、実践にも応用してきました。

そして、昨年(2017年)春、ある飲み会でふと大原が「有地さん、せっかく長年研究・実践してきた我々の成果をもっとはっきりした形で世の中に発信したいですね」とつぶやくように有地に語り掛けます。すると、有地は「私もそう思っていました。シンクタンクなんかどうでしょうかね?」
「大賛成です!」
「研究分野の名称は、経済社会の動きを人の心理や人と人との関係という視点から捉えるという趣旨で「人間経済科学」(じんかんけいざいかがく)と呼ぶこととし、これを研究する組織として人間経済科学研究所=JKK」なんかどうでしょうか?」
「人間経済科学(にんげんけいざいかがく)研究所と読んでもいいですね!」
というわけで、当研究所の設立が決まりました。

その後、有地や大原周辺の有能な研究者・専門家からも多数の協力申し出をいただき、今日に至ります。

(2018年4月吉日)

※1エドガー・バンクス
彼がメソポタミアで見つけた粘土板に刻まれた楔形文字から、ギリシャのピタゴラスよりも1000年以上前に、メソポタミアでは三角形の定理が知られていたことが判った。

※2「客家大富豪18の金言」(講談社)<2007年発刊>
上記書籍が絶版になった後、根強いファンの声援により、PHP研究所から、再編集した「客家大富豪の教え」が2013年に発刊されます。