「内陣」の心にしみ込む仏教体験

 

 

日経平均は34年ぶりに過去最高値を更新、日本は株価の面では長い停滞を脱して、ようやく新しいステージに入りました。資本市場の一員として、この34年の停滞の反省と責任を、次の世代に繫げていきたいと、私も決意を新たにしております。

 

【内陣の議論】

さて、ご本尊様を安置するお寺の内陣についてチームで議論を重ねております。内陣はお寺の中心、日本の仏教の素晴らしさと問題点とが集約されております。

 

宝瑞院は江戸城内に生まれたお寺ですので、当初は由緒ある浄土宗の様々なお寺を見学させて頂き、そこから学びたいと考えておりました。

 

ただそこからが大変で、いつもの私らしく七転八倒を重ねて参りました。ここまでのプロセスと、その中での私なりの学びを文章に残そうと思いました。

 

以下、学術的な根拠は薄弱、私見に過ぎません。

 

平安仏教(天台宗・真言宗)は、密教の「祈願」とセットで「壇」の概念を日本に持ち込み、これが日本の仏教の「内陣」の基盤となりました。お釈迦様の仏教にも、奈良時代の南都六宗にも、現在のような内陣はありません。

 

全面的に国家の保護をに受けていたお寺は、祈願という顧客獲得手段と収益源を得たことで、権力層を主体的にも鎮護するという、国家との新たな関係を構築しました。先代の奈良仏教やその後の鎌倉仏教の寺院にも、内陣が取り入れられました。さらには神社にまで、お寺を模して社殿が造営されます。

 

その折には「秘仏」のような神道の概念が、日本の仏教にも取り入れられました。仏教に「葬儀らしきもの」が最初に確認されるのも、この平安時代です。

 

仏教・神道にまたがる「日本の祈りのシステム」は、こうして平安時代に萌芽が見られ、鎌倉仏教の「自立」を経済面・人材面から支えました。

 

只管打坐(坐禅)の曹洞宗は、坐禅では教勢を維持できず、宗祖・道元の意に反して「日本の祈りのシステム」を積極的に導入し、教団を現代に継承します。

 

宗祖・法然上人は「私の説く念仏は観想の念仏ではない」と説きますが、浄土宗の内陣は金色を基盤とし、極楽浄土を模したものと言われます。

 

内陣は顧客獲得面・経済面では文字通り、お寺の守護神(仏?)でした。

 

神社仏閣の衰退は、農業村落の過疎化が主因ですが、この「祈りのシステム」の制度疲労も一つの要因だと私は見ております。

 

【心にしみる体験】

私は一時期、半年程度ですが有機農業の実習を体験しました。実習地は東京駅からバスを1時間程度、終点のバス停から徒歩30分の場所で、車を運転しない私には行くだけで大変でした。

 

一日の農作業を終え、夕陽の中をバス停に向かって歩いていると「ああ、これが仏教なんだな」と感じました。やや大袈裟で、若干の違和感すら感じたお寺の内陣やご本尊様、あるい

は声明やお経が、懐かしく心にしみ込む感覚を覚えました。

 

私見に過ぎませんが、徒歩以外に移動手段がない時代の農村社会に、お寺の内陣は最適化され荘厳されているのです。まさしく豊葦原千五百秋水穂国なのですが、都会で祈る私のための荘厳が一ケ寺ぐらいあっても良いのではと、その時に考えました。

 

当初は浄土宗と真言宗の法要を一つの内陣でできないか、と模索しました。両宗派ともに様々なイベント、特別な法具もあり、単純には不可能でした。

 

現在は浄土宗1本に絞っておりますが、契機は法然上人の「一枚起請文」でした。一枚起請文は法然上人最後の著作で、類似の文章がいくつか残っておりますが、結論は「称名念仏以外に私の教えはない」と単純です。

 

ただ文章全体からにじみ出る宗教体験の奥深さに、私は圧倒されてしまいました。

 

「法然上人は理論の人、親鸞聖人は実践の人」と言われます。他の著作からはそんな印象も受けますが、一枚起請文は決して理論の人の文章ではなく、浄土宗の表現ではありませんが、まさしく覚者の文章です。

 

「当時の異論に対する信徒の質問・疑問に対処した」という事情は本当でしょう。そこに「千載具眼の徒を俟つ(見る目のある人を千年待つ)」意気込みで、意図的では無いにせよ、法然上人の到達点を盛り込んだ文章だと私は感じました。

 

法然上人の幅の広さは、「根源」にアクセスした結果です。

 

こうした「宗教体験」は仏教の本質ではありませんし、言語化が困難で、同じ宗派で修行をしても、異なる経験に至る場合も少なくありません。

 

医学的には統合失調症の一症例なのでしょうし、時に師と袂を分かつ契機ともなり、時に反社会的な行動に導かれるリスクをも秘めた体験でもあります。

 

さらにまた、宗教体験の次世代への継承は困難を極めます。

 

祖師たちは、継承可能な「形」の中に宗教体験の痕跡を残そうと苦闘しますが、それでも時代が経過すると、どの宗派においても形骸化は免れません。

 

◎本レポートは、<宝瑞院副住職 沼田 榮昭のマニアックなメルマガ 04 【2024年4月】>を大原浩の責任で編集したものです。

 

★沼⽥ 榮昭(宝瑞院副住職)

楽天・サイバーエージェントなど有⼒企業の上場を⼿掛け、「伝説の株式公開請負⼈(⽇経新聞記事より)」と⾔われる。2000年〜2021年まで21年間、サイバーエージェントの社外役員を務める。リカバリーインターナショナル株式会社(東証グロース:9214)社外取締役。

 

宝瑞院(茨城県神栖市・浄⼟宗系単⽴寺院)副住職。中華⼈⺠共和国主治中医師(内科)、⼤阪⾳楽⼤学客員教授、情報経営イノベーション専⾨職⼤学客員教授、復旦⼤学(中国・上海)⽇本研究センター客員研究員。CIF認定TimeWaverセラピスト®。RYT200(Registry ID: 417550)、ディープマインドフルネス®ヨガ認定講師。

 

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