ビル・クリントン元大統領:「NATOの拡大が戦争を招いたと批判されても、私は正しかった」との論考について

米国のビル・クリントン元大統領が、「NATOの拡大が戦争を招いたと批判されても、私は正しかった」という論考を米誌「アトランティック」に投稿して波紋を拡げている。

なぜショッキングかというと、クリントンは「NATOの拡大はロシアにとって屈辱的に追い詰められたと感じるだろうし、ロシアが共産主義政権末期に陥った経済破綻から復活したときには、アメリカはとんでもない反動に直面するだろう」という専門家の忠告を承知の上で、ロシアがアメリカにとって都合のよい国にならなかったら、最初から戦争になっても仕方ないと考えていたと言明しているからである。

それでは、その米国の意に沿わないロシアというのがどんな国かといえば、「天然資源を糧とし、強い権威主義的な政府と強力な軍隊」の国であり、それを「18世紀的な帝国」というのだが、アメリカこそ「天然資源を糧とし、世界最強の権限を与えられた大統領に率いられる強い権威主義的な政府と強力な軍隊」を持つ帝国である。

たしかに、18世紀にアメリカはイギリスという帝国の軛から解放されようとして、独立戦争をフランス帝国の支援を受けて戦ったのだが、連邦重視主義のハミルトンと地方分権主義のジェファーソンの論争で前者が勝利し、モンロー・ドクトリンを打ちだし、新大陸を大陸諸国の干渉を許さない勢力圏とし、やがて太平洋も自分の海と位置づけて日本と戦ったのであるから、まったく英仏独露などと同じ18世紀的帝国なのである。

また、「ピョートル大帝やエカテリーナ2世のような過激なナショナリズムが復活」することを警戒していたという。

だが、ピョートル大帝は、キエフ大公国の分裂消滅以来のルーシ民族の統一国家再建への道を切り開いた功労者でアメリカでならリンカーンに比定できる。また、エカテリーナ2世は、モンゴル人のクリミア汗国を滅ぼし、黒海沿岸地方をオスマン帝国から解放してロシア国家の統一と発展の基礎を創った人物で米国史ならセオドア・ルーズベルトに当たる。

ウクライナ中心部はポーランド王国の領土で、コサック軍閥がある程度の自治を認められていたのを、17世紀に彼ら自身の希望でロシアの庇護下に入ったが、18世紀のピョートル大帝のときスウェーデンの侵略に呼応して自立を図った首領がロシアと反政府派の連合軍に敗れて自治を縮小され、エカテリーナ2世のときに当時はウクライナとは関係なかった黒海沿岸がイスラム勢力から解放されロシア領化されたのを機に自治は消滅している。

そして、プーチンがその目標とするのがピョートル大帝だとされ、メルケル元独首相が敬愛し執務机に肖像画を置いていたのがエカテリーナ2世で、いずれもロシアにとってのみならず、世界史上の偉人だと認められている。

こうした失われた民族の統一を回復するとか、分裂した民族を統一し、強力な国家を建設することが18世紀的な帝国主義だとは暴論であろう。

それなら、リシュリューやルイ14世もビスマルクもコール首相もそうだろうし、明治維新や辛亥革命でも同様だし、仏独伊が連合を組んでカール大帝の帝国を再現しようという欧州統合だって否定されるべきものになる。

独立したいと民主的な意思決定のもと行動した南部を戦争をして屈服したリンカーンも同様であろう。奴隷の存在を理由に正当だったと言いたい人もいるだろうが、リンカーンが南部の独立を認めなかったのは、経緯として奴隷の存在と関係ない。アメリカもこれから独立したい州があれば独立を認めるべきだ。

これでは、仏独中心のEUもいずれプーチンのロシアと同じ目に遭うだろうし(欧州独自軍をめぐる攻防は既に始まっている)、中国はいくら民主化しても強力である限りは許されない存在と云うことだろう。

賢人たちはNATO拡大がロシアの暴発を生むと予言していた

クリントンは、ロシアが共産主義に戻る心配はしていなかったが、エリツィンのように「民主主義」と「協調」を帝国への野望に変えてしまうのでなく、別のタイプの指導者が出てくるのに備え、拡大したNATOとEUでヨーロッパ大陸の安全を支えると考えて、政権末期のエリツィンの反対を押し切って、ポーランド、ハンガリー、チェコをNATOに加盟させたというのだ(さらに、2004年にエストニア・スロバキア・スロベニア・ブルガリア・ラトビア・リトアニア・ルーマニア、2009年にアルバニア・クロアチア、2017年にモンテネグロ、2020年には北マケドニアが加盟した)。

このとき、クリントンはそれは「新たな軋轢が起こる可能性については、私も認識していた」という。

伝説的外交家のジョージ・ケナンは、冷戦中の封じ込め政策を推進したが、ベルリンの壁とワルシャワ条約機構の崩壊でNATOもその役目を終えたと主張していた。

ニューヨーク・タイムズのトーマス・リードマンは、NATOの拡大はロシアにとって屈辱的に追い詰められたと感じるだろうし、ロシアが共産主義政権末期に陥った経済破綻から復活したときには、アメリカはとんでもない反動に直面するだろうとしていた」ピョートル大帝やエカテリーナ2世のような過激なナショナリズムが復活した

ロシア通の政治学者のマイケル・マンデルバウムも、NATOを拡大しても民主主義や資本主義が促進されるわけでないと主張し、拡大が間違いだとしていた。

このウクライナ戦争は賢人たちが心配していたことをクリントンとその後継者が確信犯的に起こした戦争だといっても過言であるまい。

だが、軋轢が起こるかどうかは、ロシアが民主主義にとどまるか否か、21世紀における国の強さというものをロシアが何に求めるかにかかっていたので責任はロシアにあるというのだ。

ロシアは、天然資源を基礎に強力な政府に指導されるのか、科学、技術、芸術といった分野の人材の才能を活用して、現代的な経済を構築していくのか選択出来たのだという。しかし、そんなものは、アメリカが指示するものでない。

それに、中国が「科学、技術、芸術といった分野の人材の才能を活用して、現代的な経済を構築」しようとしたら起きているのがここ数年の騒動だから、ロシアが世界一のIT大国になるのを許したはずもなかろう。

さらに、プーチンの路線は、エリツィンの政府が、アメリカのアドバイスを聞きすぎて経済を通常の国境管理もできない星雲状態にしてしまった反動からやや極端な形で国家としての統一性を回復する過程で出てきたものだ。

また、プーチンのロシアで民主主義が死滅しているわけではない。かなり強い制約はあるが、複数政党制も自由選挙も維持されているし、少なくとも今回の戦時下は別として反政府系メディアの活動もあるなど、中国と一緒にして権威主義的国家というのは不当だろう。

EU加盟国でも、今回の選挙でウクライナ支援の旗振り役になっているポーランドなど民主主義を形骸化する憲法改正を連発し、フランスのマクロン大統領から『反ユダヤ主義の政権』と罵られているし、ハンガリーも同様だ。ウクライナも独立以来、腐敗と政治テロと少数民族弾圧を繰り返し、独立当時、ロシアより上だった一人あたりGDPは三分の一以下になり、平均寿命は短くなり人口はすでに2割も減っている。

韓国では政権交代ごとに前大統領が刑務所に送られるし、2012年のフランス大統領選挙における最有力候補だったストロスカーンIMF事務局長がニューヨークで謎の事件に巻き込まれて逮捕された事件はロシアやウクライナでの同種の事件より怪しさが小さいわけではない。

アメリカでもあの大統領選挙をめぐる混乱や党派色の強いマディアによる言論統制などを見て、民主党と共和党どちらの側もアメリカの民主主義が健全に機能していることを否定しているではないか。

しかも、あらゆる指標から見て、プーチンは国民からバイデンよりもトランプよりも広く強く支持されていそうだ。

世界の国家が民主主義国家と権威主義国家の二種類でこの国はこちらと二分法で分類するのは、フェアでない。程度の問題であるとともに、それぞれの側面ごとに判断すべきことだ。

少なくとも、ロシアは間違った道を歩んだから、NATO拡大の結果、押し詰められたロシアが予想通り暴発したとしても全責任はロシアにあるというのは無茶だろうし、そんな論理がまかり通るなら、火種がロシアなのかほかの国はともかく第三次世界大戦はいつか起こるか、あるいは、広汎な反米同盟の成立で世界の主導権を失うことになる可能性はかなり大きく危険だ。

※この記事は、「八幡和郎のFacebookでは書けない話」掲載の記事を短縮再編成したものです。

★人間経済科学研究所フェロー 八幡和郎

 

研究調査等紹介

挑戦と失敗

    【仏教の表と裏】   世の中は 乗合船の 仮住まい よしあし共に 名所旧跡 (⼀休禅師) この世の中は、様々な⼈達が⼀緒に乗り合っている仮住まいの船、あれ が良い、これが悪いと⾔いながら貴重なこの世の出来事を経験 .....

経営と仏教の真実

【経営者と爬虫類脳】 私は資本主義に嫌気がして仏教を選んだ訳ではなく、むしろ逆で、お金を儲けるにはありのままを見る必要があるとの思いが出家の動機でした。 私は株式公開の専門家で、上場を目指すベンチャーは常に新しいことを考 .....

コインの表と裏

【株式公開と仏教】 <われをつれて、我影帰る月夜かな 山口素堂> 山口素堂は松尾芭蕉の盟友でもあった江戸期の俳人です。 月夜にくっきりと浮かぶ「我が影」が、頼りなさげな「われ」を先導しているかのように見える面白さを詠んだ .....

資本主義と瞑想のただならぬ関係

      ★「1970年までの『米国革新の世紀」と、これからの米国を語る」からの続きです。   【アーバン・ブッディズム】 もう一つの収穫は、自身が唱えてきた「アーバン・ブッディズム」とは何かが、この書籍(「米国経済成 .....