中国のデジタル人民元「本当の脅威」とは
最近、中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency,以下「CBDC」)のニュースが頻繁に報じられる。特に、中国のデジタル人民元に関するものが多い。
12日にも、中国人民銀行が、デジタル人民元の公開テストを中国南部の深圳で行ったことが様々なメディアで報じられた。この公開テストとは、抽選に当たった市民5万人に200元(約3100円)相当のデジタル人民元を与え、市民はこれを使って10月18日までの間、中国石油化工集団(シノペック)のガソリンスタンド、ウォルマート、シャングリラ・ホテルを含む市内の3389の店舗で買い物ができるというもので、抽選には200万人が応募したそうだ。
中国人民銀行は既にいくつかの国内の都市でCBDCの実験を行っているが、これからも地域を広げて実験し、2022年の北京オリンピックでは、デジタル人民元の利用ができるようにする方針だ。
一方、日米欧の主要国は、世界の国々に先行してCBDCの発行準備を進めている中国に対して警戒を強めている。
13日のG7財務大臣・中央銀行総裁会議後の共同声明では、CBDCで先行する中国を念頭に、CBDCが透明性、法の支配、健全な経済ガバナンスを確保することを求めた。会議に参加した麻生財務大臣は記者会見で 「中国さん、あなた透明性大丈夫?という話ですよね。もうちょっと品よく、条件を満たしていないとダメですよということだと理解してもらった方がいいのではないかと」述べた。
こうしたG7の動きについて14日の日経は、「日米欧はデジタル人民元が中国国内での利用にとどまらず、貿易決済などを通じて世界的に普及し、存在感を高めることを警戒している。相対的に基軸通貨のドルの地位が低下すれば、米国が敵対国にドル取引を禁じるといった金融制裁の効力も弱まりかねない。」と書いている。
しかし、G7が共同声明を出そうが、麻生大臣が何と言おうが、中国は聞く耳を持たないだろう。なぜなら、デジタル人民元の発行は、中国が世界の覇権を米国から奪いに行くという政治的意思に基づくものだからだ。
CBDCは米ドル支配体制を揺るがすのか?
昨年10月24日、中国共産党中央委員会政治局の研究会に出席した習近平主席は「我々はブロックチェーンを、核心的技術の独自のイノベーションの重要な突破口としなければならない」と述べブロックチェーン技術の発展を加速させるよう指示した。
その4日後の28日には上海で開催された金融サミットで、中国国際経済交流センター副所長の黄奇帆氏が「アメリカは軍事力と経済力により、石油と国際貿易のドル決済を独占し、ドルが事実上の世界通貨となったが、過剰発行が問題となっている」と述べ、「主権国家が通貨発行権を行使する最適な方法は、政府・中央銀行によるデジタル通貨の発行だ」とCBDCがドルにとって代わるべきことを示唆するスピーチをしている。
今後デジタル人民元が正式に発行されるようになると、中国マネーの罠にはまっているアフリカ諸国やアジアの一部の国は、デジタル人民元建ての決済をするようになるかもしれないし、中国が一帯一路政策に賛同する国にデジタル人民元建て決済の導入を求めることも考えられ、デジタル人民元発行は警戒しなければいけない。
ただし、私は昨年11月10日付のアゴラで書いたように、これが直ちに上述の黄奇帆副所長が考えるような米ドルの基軸通貨体制を揺るがすものにはならないと考えている。
中国の国内金融市場の自由化はまだ不完全で、人民元の為替相場が当局によって人為的に管理されている限り、デジタルの形式になっても人民元が世界の基軸通貨になることはあり得ない。そもそも共産党幹部までも、ため込んだ資金を海外に不正に逃避させているような国の通貨をすき好んで持つ投資家や貿易相手がいるだろうか。
デジタル人民元がドル基軸通貨体制を脅かすというのは、現時点では中国の政治的願望でしかない。しかし、だからと言ってデジタル人民元への警戒とこれに対抗するための準備を怠ってはならない。
ブロックチェーンを使ってCBDCを作ること自体は、今やそれほど難しい技術ではない。以前私がアゴラに書いたように、カンボジアでは既にかなりの規模で実証実験が行われているし、これ以外の国でもCBDCの実験をしている国はいくつもある。
実証実験で浮き彫りになる課題
それよりもCBDCの開発で一番重要なのは、CBDCを導入する際に遭遇する民間企業との利害調整の必要性など様々な経済社会的問題を事前に認識して、これらへの対処策を種々講じていくことだ。
例えば、日本でデジタル円が導入された場合のこと考えると、デジタル円で支払いをしても日銀はお店から手数料を取れないが、そうなるとお店は手数料がかかるクレジットカード、電子マネーやQRコード決済を止めてデジタル円決済に切り替えてしまうだろう。
また、クレジットカード、電子マネーやQRコード決済は、加盟店でしか使えないが、デジタル円なら当然どこでも誰に対しても使える。しかし、そうなるとクレジットカード、電子マネーやQRコードの会社はたちまち倒産するが、これをどうするか。
また、個人から個人にお金を渡すとき、例えば孫にお年玉をあげるとき、現金と同様にデジタル円のお年玉を渡す際も日銀は手数料を取れない。これは、個人間あるいは法人間、個人と法人間でも同じで、日銀は手数料をとれない。しかしそうなると誰も振込手数料のかかる銀行送金をしなくなるが、これをどうするか。
さらに言えば、スマホのウォレットにデジタル円を大量に保有できるのであれば、預金口座を持つ必要がなくなる。特に今のように預金しても金利がほぼゼロだったり、今後口座維持管理手数料がとられるようになると、人々はますます銀行に口座を持たなくなるが、それでよいのか。
このようにちょっと考えただけでもCBDCの導入は、既存の決済・金融の仕組みに大きな影響を及ぼす恐れがある。したがって、実際にできるだけ近い形でCBDCの実証試験を繰り返して、どんな問題が生じるか、それをどう解決すればよいか経験を積み重ねる必要があると思う。
中国のデジタル人民元はその意味で、これからどんどん実際の経済取引での問題点や逆に有用な応用事例を見つけ出していくだろう。中国がCBDCで世界に先駆けることの一番の脅威は、こうした経験知を積み重ねることにある。
「遅すぎる」日本の対応
この豊富な経験に裏打ちされたCBDCを中国が事実上の国際標準として一帯一路政策と組み合わせて世界の国々に売り込むことになると、その影響は決して小さくない。
9日のロイターの報道によると「財務省の岡村財務官は、「中国はデジタル通貨の開発に向けた取り組みで先行者利益を得ようとしていると指摘。『先行者利益は恐れるべきものだ』と語った」そうだが、まさにその通りだ。
同日発表された日銀のCBDCの実証実験の予定では、3段階あるその第1段階をやっと来年度(すなわち4月以降)始めるそうだが、こんなに悠長なことを言っていてよいのだろうか。
私の大蔵省の先輩で自民党の金融調査会長をされている山本幸三先生は、12日のロイターのインタビュー記事で、日銀のCBDCの実証実験について「遅すぎる」と述べ、金融調査会として、日銀法の改正や関連法制の整備を急ぐよう財務省に求めていく考えを示したそうだ。
中国のデジタル人民元は、現状ではまだ脅威ではない。しかしこれをあなどって油断していると、あとで取り返しがつかなくなる。
(文責:有地浩)
本レポートはアゴラ(http://agora-web.jp/)から転載いたしました。
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