人間の意志と心と経済・社会

人間の意志と心と経済・社会

 「道徳感情論」と「国富論」
1776年に出版されたアダム・スミスの国富論は、実際に読んだ人は少なくても、その名前は世界中に知れ渡り、現代の経済学における「聖典」とも言える。ところが、この本が、1759年に発刊された「道徳感情論」で論じた内容のうち「人間の経済の営み」に関する部分に特化したいわゆる「別冊」として出版されたことは意外に知られていない。そもそもスミスはグラスゴー大学(映画ハリー・ポッターの魔法学校のモデルともいわれる名門)の道徳哲学の教授であり、「人間」に関する考察がその専門であった。したがって彼が生きた時代には、「道徳感情論」の方がはるかに世に知られた書物であったのだ。

 人間経済科学が「人間中心」の思考を行う理由も、このアダム・スミスの手法に原点がある。現代の経済学が行きづまっているのも、本来不可分である人間の営みと経済を分離してしまったところに理由があるのだ。

 「正確に間違っているより」も「大雑把に正しい」方がはるかにましだ
 ピーター・ドラッカーは「部下の長所を見つけることができず、短所ばかりを重箱の隅をつつくように掘り返すマネージャー(上司)は即刻解任すべきである」と厳しいことを述べている。人間が他人の長所よりも短所を簡単に見つけることができるのは、自然界で個体が生き残る戦略によって獲得された遺伝的形質であると思う。厳しい自然環境の中で生き残るためには他人の負の部分を含む「リスク」に対して敏感に反応しなければならず、よりリスクに敏感に反応して生き残った人類の子孫が我々であるからだ。

 しかし現代社会、特に先進国では、夜道を歩いて猛獣に襲われたり、飢饉で飢えるようなことはまず無い。したがって、遺伝子で受け継がれた人間の本能は、今では「欠点・リスク」に過剰に反応しすぎるのだ。逆に言えば、その本能を理性でコントロールできる人々は、社会や経済で成功することができるというわけである。

 ウォーレン・バフェットは「『正確に間違っている』よりも『大雑把に正しい』方がはるかにましだ」と述べる。例えば、企業の決算データを緻密かつ正確にいくら分析してもその決算そのものが粉飾であれば全く意味が無い。その企業の決算そのものが正確・誠実なのかどうかを大雑把に把握することの方がはるかに重要なのだ。

 経済学に限らないが、現代は物事が細分化・専門化され些末なことに人々意識が集中している。「細部にこそ魂が宿る」というのは事実だが、枝葉の研究に専念して枝の上に登っていたところ、幹が腐っていて木が倒れてしまえば大けがをする。

 また、象の「鼻」の専門家や「耳」の専門家、「尻尾」の専門家に「象の生態」を聞いても答えられない。同様に、我々が知りたいのは「経済」(社会)の生態であって、「経済」の鼻や尻尾の分析を事細かに聞かされても役に立たないのだ。特に、やたら難解な数式を使って経済の爪の生育具合を事細かに論証しても経済については何もわからない。

 もちろん、木(爪)も森(象)もどちらも大事だが、「人間の経済・社会」という「生態系」を理解するためには、森全体の観察を行うことの方が重要であることはいうまでもない。そして、森全体を観察するときには細部にこだわるのではなく、全体を「大雑把に把握することが大事」だ。まさに、ウォーレン・バフェットの「『正確に間違っている』よりも『大雑把に正しい』方がはるかにましだ」という言葉が意味することである。

人間も会社も長所で発展する
 前項で述べた様に、ドラッカーは「欠点では無く長所」に注目すべきであると繰り返し述べている。別の表現では、「会社(人間)は長所によって競争に勝つ。欠点を普通にしても競争には勝てない」となる。いくら多大なエネルギーを費やして欠点を人並みの平凡な能力にしても、厳しい競争に勝つことなどできないのだ。雌雄を決するのは会社(人間)の他よりもすぐれた能力(長所)であることは間違いが無い。

 したがって減点主義は、少なくとも「競争力」を高めるためには向いていない。全体主義(ファシズム・共産主義)のように一つの正しいやり方があって、それ以外は問題点として是正しようとするやり方はまさに「(重箱の隅をつつき)欠点をあげつらうやり方」である。

 それに対して「市場」(資本主義)は、その動きが定型化しにくくとらえどころがないものの、生物の進化と同様に「短所は自然に淘汰され、長所が生き残っていく」手法である。このように「(長所が)進化」した市場(資本主義)が、「大雑把」であるにもかかわらず、他のシステム・体制を駆逐したのは当然だ。

 しかし、「欠点をあげつらう」やり方は共産主義・ファシズムの専売特許では無い。資本主義(民主主義)体制の中でも頻繁にこのやり方が見られる。例えば与党政治家の細かな発言の揚げ足をとる野党やマスコミ。人間の「細かな欠点にこだわる本能」を刺激する戦略であるが、政治家に求められているのは、国会での議論を深めたうえで政策を実行し、国民を豊かで幸せにする能力であり、それが木の幹に相当するのである。枝葉の問題で木を切り倒してしまうのは愚かな行為だ。

 また「福祉」や「規制・ルール」は資本主義国家においても極めて重要だが、現在の「国営」福祉事業や国家による各種保護政策・規制は行き過ぎであり、そもそも、ほぼすべての先進国において「国営福祉事業」は破綻寸前だ。

  ミルトン・フリードマンなども述べるように「あれがいけない・これがいけない」という国営事業や免許制度(医師、弁護士、教師なども含む)がいくら欠点を是正しようとしてもうまくいかない。大事なのは長所を伸ばすことであり、国防・警察。最低限の福祉などを除いて、長所を生かすことができる市場(民間)に任せるべきだ。
 
やる気こそが経済活動の中心
 現在の経済学の最大の問題点は、人間の意志(簡単に言えばやる気)に着目しないことである。例えば、高度成長時代の日本は空前の人手不足であったのだが、移民政策はとらず「自動化・ロボット化」で切り抜け、その技術が日本発展の原動力になった。

 よく子供が、「勉強部屋を広くして、お小遣いをアップしてくれたら勉強するからさ・・・」とねだるが、それがうまく機能することはまず無い。「政府」に経済環境を整備するよう求める企業家も親(政府)に甘える子供たちと同様である。いくら条件をそろえてもやる気が無ければ単なる資源の浪費に終わるのだ。

 マイケル・ポーターは「基礎的条件」がそろうことが経済発展の条件では無いと言う。例えば、原油などの資源(基礎的条件)を備えた国は経済発展すると思われがちだが、産油国で先進国入りしているのは米国(世界最大の産油国)くらいで、その他の産油国の大部分は発展途上国(後進国)のままである。

 逆に英国を除く欧州、シンガポール、香港、台湾、タイ、そして日本・・・いずれも産油国では無く原油の輸入に苦労しているにもかかわらず大発展している。さらに、シンガポールと香港は「人口」や「土地」という資源にさえ恵まれていない。条件さえ整えば経済が発展するなどという考えは、子供に小遣いをやりさえすれば勉強するだろうという幼稚な考えと同じだ。

 人間経済科学では、この人間の複雑な心理・行動と実体経済の関わりについて研究していく。

文責:大原浩

本レポートは、月間。産業新潮(http://sangyoshincho.world.coocan.jp/)
の記事から転載いたしました。

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