無神論者であったブッダ

 

 

カトリックの聖人ヨサファト

キリスト教のローマ・カトリックと東⽅正教会では、10世紀頃からヨサファトと呼ばれるインド⼈を「聖⼈」として崇拝しております。

冒険家のマルコ・ポーロは「ヨサファトの⽣涯はゴータマ・シッダールタと⽠⼆つだ」と驚きますが、ヨサファトの意味は「菩薩」です。

菩薩とは悟りを開く前のゴータマ・シッダールタのこと、キリスト教会は認めませんが、お釈迦様はキリスト教の聖⼈でもあるのです。

ゴータマ・シッダールタの⼈⽣は、謎に包まれております。

確実な遺⾻が確認されており、実在したことは間違いありませんが、何を説いたのか、何が後世付加されたのか、確かなことはわかっておりません。

 

ただゴータマ・シッダールタが実践したのは「瞑想」で、インドには数百種類以上の瞑想がありましたが、彼の瞑想はその中で驚異的な成果を上げました。早ければ数か⽉で悟りを開き、記録によれば⼥性も続々と悟りました。

「出家」と呼ばれる、社会から隔離する⼿法に特⾊がありましたが、実は出家をせずに、在家のまま悟りを開くケースも⾒られました。

 

ブッダの瞑想の秘密

今回は私なりに、ゴータマ・シッダールタの瞑想の秘密に迫ってみます。

ゴータマ・シッダールタは後のお釈迦様、彼の教えは仏教と呼ばれ、彼の死後も組織は拡⼤し、様々な地域に広まりました。

⾃⼰観察を特⾊とするヴィパッサナー瞑想が仏教の根幹ですが、歴史の歩みの中で何故か、お釈迦様ご⾃⾝を崇拝する「宗教」へと変容を遂げました。

サムシング・グレートを実感し崇拝するのは⼈間の本能でもありますが、これはゴータマが「苦⾏」として切り捨てた、当時の瞑想の主流派の⽅法論です。

あのお経が⼀番だ、あの仏様が⼀番だ、といった迷いと争いが⽣じやすく、祈りが叶い奇跡を体験すると、ますます「本当の⾃分」からは視線が離れてしまいます。

深遠な哲学が展開される⼀⽅で、悟る⼈は限りなく0に近付き、仏教教団では「末法」の物語が創作され、まことしやかに語られるようになりました。

逆に「本当の⾃分」に向き合うなら、神仏をも⾒逃すことはないのです。

仏教にはゴータマの死後、ヒンドゥー教などの理論や神々が取り⼊れられました。そのためインドで仏教は、ヒンドゥー教の⼀宗派とも理解されております。

彼の教えは、ヒンドゥー教をはじめとした宗教の本質を鋭く突く⼀⽅で、ヒンドゥー教の神々や経典(ヴェーダ)の権威を認めませんでした。ヒンドゥー教などの「宗教」からノウハウを吸収し仏教教団は維持されますが、逆に当時の近隣の宗教に、たとえばヨガなどに、多⼤な影響を与えました。

私はゴータマ・シッダールタを、⼈類史上最も神々に愛された、崇⾼で美しい無神論

者だと考えております。

 

現代に蘇るブッダの教え

1979年、マサチューセッツ⼤学メディカルセンターのJon Kabat-Zinn博⼠が開発したMBSR(マインドフルネスストレス低減法)は、現代に蘇るゴータマ・シッダールタの教えです。

マインドフルネスとは仏教の⼋正道の⼀つである「正念」の英訳、宗教⾊を排除し、形の上では仏教の8分の1を取り⼊れたに過ぎません。

ただゴータマ・シッダールタの教えに宗教⾊は元々ありません。⼋正道はすべてが関連し合い、1つでは成り⽴たないのです。

医療の分野で素晴らしい実績を⾒せ、かつては精神疾患の患者でもあった受講⽣が、私の学ぶ教室でも講師を⽬指して頑張っております。

⻑年患っていた各種の精神疾患が、これだけの再現性をもって改善が⾒られる瞑想法を、私は他に知りません。

⽇本では簡略化した「なんちゃってマインドフルネス」が⼈気で、この源流であるMBSRをきちんと学ぶ場所は限られております。

出家は求められませんが、初期仏教の経典がMBSRの中で、思いのほか忠実に展開されていることに、私は驚いております。

マインドフルネスは今や、⽶国の経営の⼀部となりました。たとえばGoogle社のマインドフルネス(SIY)は、源流であるMBSRをビジネスの観点で組み替え、独⾃に発展を遂げたものです。

 

本当の自分

私は志は「ビジネス×仏教」なので、本来はSIYを学ぶべきで、いずれ本格的に学ぶ⽇が来るのかもしれません。

ただビジネスへの応⽤は、研究と実践を積んできた⾃負もあり、今回は敢えて、より本質的・本格的で応⽤の効く基本分野に絞りました。

ゴータマ・シッダールタの教えは、縁起の理法や四法印(もしくは三法印)の形で要約されますが、実は私は、話が逆ではないかと感じております。

ゴータマ・シッダールタは前提条件を排して、⾃分と向き合うことを勧めており、その到達点が、縁起の理法や四法印の形でまとめられたのです。

「量⼦論との酷似」「⼼理学・脳科学との融合」といった話題も、私を仏教へと駆り⽴てる要因ではありますが、ゴータマの観点からは、「⾃分」とは直接の関係のない、現代の「縁起の理法」「四法印」に過ぎません。

⼈間は⾃分の観点でしか世界を⾒ることができないのに、肝⼼の⾃分の確認を疎かにしたまま、無意識に様々な補助線を引いて、世界をクリアにした積りになります。

この補助線に疑問を持たなければ、「本当の⾃分」に戻る必要もないので、別の補助線で悩みが解決できる間は、本来の仏教には出番はありません。

ただ有益な補助線ほど⼈間の信念に深く根付くので、補助線から本当に⾃由になるには、やはり出家が最良の⽅法なのだろうと思います。

補助線は「悪」どころか、現実⽣活に必要不可⽋なものですらあるのです。

 

補助輪の役割

⾃転⾞に乗る練習では最初に補助輪(≒補助線)を使うように、⾃分に向き合う練習にも⾃分に合った補助線が、特に出家が困難な環境では有益です。

法然上⼈は「宗派」は⼈が作ったもので、補助線に過ぎないと語ります。

「どの教えも釈尊の教えなのだから、諸宗の教えの深浅を⾔い争ってはいけない」と語り「経⽂通りに修⾏すれば、誰でも悟りを開く事はできるのに、修⾏もせずに宗派の良し悪しを議論するのは、⽬が⾒えないのに⾊の濃淡を論じ、⽿が聞こえないのに声の好き嫌いを語るようなものだ」と説きます。

「⽂字を使わない禅宗が、⽂字を使う宗派を論じるのは不適切だし、真⾔宗・天台宗の⽴場から禅宗を推測するのは間違いだ」とも語ります。

法然上⼈の「宗派補助線論」は、⼤乗仏教の本質だと私は考えております。

法然上⼈の著書は「選択本願念仏集」ですが、この内容は記録に残る法然上⼈の⾔⾏と、かなりニュアンスが異なります。最⼤の⽂化⼈・後援者である九条兼実の求めに応じて著した書ですが、九条兼実は法然上⼈をこよなく愛したものの、称名念仏には疑義があったのでしょう。

政界での夢破れ、⼼⾝の虚弱に悩む九条兼実は、授戒を祈願として捉え、晩年は法然上⼈から繰り返し戒を授かる⼀⽅で、同時に若い明恵上⼈からも⼀週間に渡る真⾔密教の加持・祈祷を受けております。

緊急事態の中で九条兼実は、称名念仏とは合い⼊れない選択をしているのです。

明恵上⼈は華厳宗の中興の祖とも⾔われ、超⼈的な学僧であると同時に修⾏を重視、当時の⽇本仏教の各宗派の発展に、多⼤な貢献をしております。

明恵上⼈は九条兼実を通じて法然上⼈を知ったのだと思いますが、当初は法然上⼈を尊敬し絶賛しますが、「選択本願念仏集」を読むと、厳しい批判者へと転じます。

⾔⾏を紐解く限り、法然上⼈は、⽇本のゴータマ・シッダールタでした。

ゴータマ・シッダールタはヒンドゥー教やヨガの⽂脈の中で、補助輪がなくても⾃転⾞に乗れるよ、本来の⾃分に⾝を委ねて⼤丈夫だよ、と説きました。

 

補助輪へのこだわり

法然上⼈は浄⼟教の⽂脈で悟りを開き、この境地を⺠衆に説き、喝采を受けました。

ただ補助輪での成功者でもある九条兼実は、当時の最⾼の知性でもありましたが、仏には出会おうとはせず、死の直前までも新しい補助輪に救いを求め続けました。

ゴータマ・シッダールタは、攻撃を受けない限りは、他の教えや修⾏法を批評することはありませんでしたが、弟⼦たちは宗教教団へと変質していきました。

⾃分に向き合うより、新しい補助線を探し求めるのが⼈間の性なのでしょう。

またそれは、有意義な⼈⽣を送る処世術としては、決して間違いではありません。

法然上⼈が先鋭に語り抜いたきたこのカラクリが、明恵上⼈の思想や仏教観に⼤きく影響したのではないか、と私は想像しております。

明恵上⼈は敢えて宗派を創らず、ただただゴータマ・シッダールタを⽬指します。

「選択本願念仏集」を徹底的に批判し、蔓延する称名念仏と戦いながらも、「法然上

⼈は⽂章が苦⼿なのだろう」と語る明恵上⼈は、親鸞聖⼈や⻄⼭国師(証空)とは異

なるステージでの理解者だったのでは、と私は考えております。

 

「鎌倉」からの「民衆の仏教」

ゴータマ・シッダールタは、「出家」という社会と断絶する⼿法を取りましたが、法然上⼈の浄⼟宗を含め⽇本の⼤乗仏教は、庶⺠と共に歩む仏教です。

現在⽇本に残るお寺の⼤半は、15世紀〜17世紀に建⽴され、この時期の⽇本は、仏教 と⺠衆が直接つながり、この時期だけは寺院建⽴の主役は⺠衆でした。

⺠衆への眼差しは鎌倉仏教の特⾊ですが、実際に⺠衆に根付くのは戦国時代で、鎌倉仏教というよりは戦国仏教という⽅が、実態には合っております。 戦国時代のお寺は⺠家と同じで、正⽅形の狭い礼拝スペースに、正確に⽅位を取って、⼩さな仏像が安置されました。

 地⽅寺院の資料はほとんど残ってはいないので、⼩さく貧相な「家」ではあったので しょうが、そこから先のコメントは、私が⾒た僅かな資料からの想像に過ぎません。宝瑞院の本堂は、⽇本の仏教史上、仏教と⺠衆が⼿を取り合った、この唯⼀の幸福な時代のお寺を模しておりますが、それでは世間⼀般の寺院のイメージとは⼤きくかけ 離れるので、ある程度は現状の様式を取り⼊れております。

内陣の荘厳(飾り付け)が地域のお寺に取り⼊れられるのは、寺請制度が広まった17 世紀半ばからで、結果的には江⼾幕府が戦国仏教の変質を仕掛けました。地域の仏教寺院が仏教全般から離れ「宗派」に縛られるのもこの時期からです。

 

拝金主義による補助輪

ただ仏教寺院にとって、特に経済⾯では、⼤きなプラスでした。寺請制度で寺院は、檀家からほぼ⾃由に資⾦を集めることができました。

江⼾幕府は⾏き過ぎた「荘厳」を戒めますが、実際に取り締まった形跡は⾒られず、 ⺠衆を搾取する脱法⾏為には、⽚⽬をつぶっての対応だったと思われます。

「檀家全員を収容する広さが必要」との⼝実で、寺院の⼤型化も進みました。あるいはこれが、地域のプライドを刺激する⾯もあったのかもしれません。

プチ本⼭化(内陣の荘厳、寺院の⼤型化)はほぼ全宗派に⾒られますが、浄⼟宗は江⼾幕府と特に密接で、この流れを先導する宗派でもありました

念仏は天台宗の名僧・円仁が中国から導⼊し、これに基づいて「往⽣要集」の著者である源信(天台宗)が、浄⼟「教」の基礎を作ります。 法然上⼈の⾒解とは異なるのですが、往⽣要集は観想念仏が中⼼の書で、当時建築された寺院は極楽浄⼟を模した内陣を持ち、観想念仏に適した寺院でした。 江⼾時代になると壮麗な浄⼟「教」寺院を模して、浄⼟宗寺院が増築されました。

仏教は⾃分を⽣きる教え、曼荼羅も念仏も、⼤切ではあっても補助輪に過ぎません。使い慣れた補助輪は簡単には取り換えられませんし、使ったことのない補助輪は、ど んなに素晴らしいものでも、⼈に説くことは難しいと思います。

補助輪は、宗教の世界のみならず、⽇常⽣活のあらゆる分野に存在します。

ビジネス分野の補助輪は、⼈の使命観や⽣きがいに絡み、現実の試練の中で磨き抜かれ、さらにはお⾦に深く関わり⽣存本能にも直結しますので、これからの仏教の主戦 場とも思われ、丁寧に向き合う⼯夫が必要だと私は考えております。

⽶国を⾒れば明らかなように、従来のキリスト教の補助輪では、もはや拝⾦主義ビジ ネスの補助輪に取り込まれ、全く対抗できていないのです。

 

◎本レポートは、<宝瑞院副住職 沼⽥ 榮昭のマニアックなメルマガ 08【2024年8⽉】>を大原浩の責任で編集したものです。

 

★沼⽥ 榮昭(宝瑞院副住職)

楽天・サイバーエージェントなど有⼒企業の上場を⼿掛け、「伝説の株式公開請負⼈(⽇

経新聞記事より)」と⾔われる。2000年〜2021年まで21年間、サイバーエージェントの

社外役員を務める。リカバリーインターナショナル株式会社(東証グロース:9214)社

外取締役。

 

宝瑞院(茨城県神栖市・浄⼟宗系単⽴寺院)副住職。中華⼈⺠共和国主治中医師(内科)、⼤阪⾳楽⼤学客員教授、情報経営イノベーション専⾨職⼤学客員教授、復旦⼤学(中国・上海)⽇本研究センター客員研究員。CIF認定TimeWaverセラピスト®。RYT200(Registry ID: 417550)、ディープマインドフルネス®ヨガ認定講師。

 

ファイブアイズ・ネットワークス株式会社

〒150-0044

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