「ドラッカー18の教え」 第1回 全員一致は否決せよ

ユダヤの教え

 私が子供のころに強い影響を受けた本の中に「日本人とユダヤ人」(イザヤ ベンダサン著・山本書店)があります。実のところ、イザヤ・ベンダサンというのは、山本書店店主である山本七平氏のペンネームのようなのですが、それはさておきまだ狭い世界で生きていた私に、広い世界があることを教えてくれた本です。角川書店から復刻版が文庫で出ているようですので、詳しくは是非原著をお読みいただければと思います。

さて、日本的な考えや、日本の偏った考え方の(自称)知識人やマスコミを通しての「海外」しか知らない中学生であった私に、数々の影響を与えた教えの中で最も衝撃的であったのは、「全員一致は否決せよ」です。「全員一致のどこがいけないの?」と普通は考えるでしょうし、私も当時はそう思っていました。ただ、理論的にはうまく説明できないけれども、直感的に「正しいような気がする」という感覚があり、長い間この教えを時々思い出しては「何とか筋道を立ててこの教えの正しさを説明できないものだろうか?」と思いあぐねていました。

アルフレッド・スローンの教え

 社会人になってしばらくして、ドラッカーを読み始めたとき、その著書の中でユダヤの教えと同じ「全員一致は否決せよ」と述べられていることには驚きました。しかも、その中で全員一致を否決しなければならない理由が具体的明確に述べられているのです。彼は、全員一致を否決しなければならい理由は、なぜ全員一致になるのかを次のように具体的に考えればすぐにわかるといいます。

  • 参加者に外部・内部の圧力がかかっている=共産主義国家・独裁主義国家では、指導者や党に反対すると命の危険があるので、物事は「全員一致」でスムーズに運びます。ただ、その指導者・党の判断が正しいことが保証されているわけではありません。社長が独裁的な企業の役員会、部長が部下から恐れられている部署の会議でも同じような結果になるでしょう。
  • 会議の参加者が真剣に考えていない=多数意見に付和雷同するのはとても簡単ですし、多数派から快く思われます。逆に少数意見を述べるためには、多数派からの反論に耐えることができるような「筋道」をしっかり考えなければなりませんし、会議の参加者の多数派がこちらを凝視する中で異論を述べるのは勇気のいることです。

つまり、ドラッカーは、全員一致になるのは「誰かから脅されているとき」か、「真剣に考えていないとき」だけだから、「全員一致の意見は採用すべきでは無いと主張しているのです。そして、「全員一致」には別の弱点があります。それは、「一つの意見しかなければ代替案(予備・保険)が無い」ということです。全員一致の案を実行しても100%成功するわけではありません。むしろ1)や2)の環境下で決まった案であれば、失敗する可能性が高いはずです。その時に、全員一致の案しかなければ万事休す。次の展開ができません。それに対して、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をすれば、どのような失敗をするのかの見通しも立ちますし、失敗したときの対案も自動的に準備されることになります。

ドラッカーの重要な教えの中に「未来は予見できない」というものがあります(だから、彼の著書にもあるような人口動態のように「すでに起こった未来」を重視しなければならないのです。この点はのちの章で詳しく述べます)。そのため、ビジネスのシナリオは複数用意しなければなりません。未来は予想できないからこそ、万全の準備が必要なのです。そして、十分な数のシナリオを用意するために異論(反対意見)は必要不可欠なのです。

そしてこの「全員一致は否決せよ戦略」を巧みに活用した経営者としてドラッカーがしばしばとりあげるのが、GMを全米屈指の大企業に育て上げた中興の祖アルフレッド・スローンです。彼は役員会などの会議で全員一致の結果になると「みなさん方は、まだこの案件について結論を出す準備ができていないようですね」と言って、期間をおいてから再度討議させたそうです。

正しい判断は常に少数意見の中にある

 我々が全員一致を正しいことのように考えがちなのは、民主主義教育の成果なのかもしれません。例えば一つのホールケーキを子供たちで分けるとします。子供たちが全員一致で選んだ切り分け方が一番良いに決まっています。政治でも、「分配」については全員一致を否定すべきでは無いかもしれません。つまり「要望・要求」については、全員一致は必ずしも否定すべきではないということです。

しかし、外交政策、産業政策ではどうでしょうか?たしかに、実行するのは国民の多数決で選ばれた議員やその指揮下(やや疑問もありますが)にある官僚です。しかし政策の立案・選定においては、全員一致どころか多数決さえ意味があることかどうか疑問です。多数意見であることが内容の正しさを保証するわけでは全くありません。

例えば投資の格言に「大衆は常に間違っている」というものがあります。読者も感じていることでしょうが、新聞やテレビなどのマスコミが報じるマーケット見通しが正しかったことはほとんどありません。なぜなら彼らは大衆=多数派を代表する存在だからです。実際、投資家のうち成功するのはせいぜい1割から2割程度であって、残りの大多数は負け組

(国債の利率よりも運用利回りが低ければ失敗です)であるというのが私の実感ですし、いくつかのアンケート調査もそれを裏づけています。

ビジネスでも同じことが言えます。成功するベンチャーは周囲の「そんなことやっても失敗するぞ!」という多数派を押しのけて発展するのが普通ですし、ITバブルの時に周囲がちやほやした企業の大半は消えてなくなっています。また、大企業の役員がこぞって賛成し、大量の資金を投じた事業の多くが失敗しています。逆に社内の反対を押し切って「この事業が失敗したら腹を切る」くらいの覚悟を持った人物がリーダーシップをとる事業は意外に成功するものです。もちろん、その覚悟によって猛烈なエネルギーが生まれるということもありますが、よほど真剣に考えて自信を持たなければ「腹を切る」などということは言えないのも事実です。

ビジネスに多数決は無用である

 もちろん、少数意見が常に正しいというわけではなく、数多くの誤った少数意見から正しい意見を見つけ出すことがとても大事です。ただし、多数意見は概ね間違っているといってよいでしょう。

ですから、ビジネスの重要な決断において、少数意見を述べることを恐れてはなりません。賛同者が多いか少ないかということは、「正しい」あるいは「間違っている」ことと何の関係もありません。むしろ賛同者が多い時こそ、自分の意見が正しいかどうかをじっくりと考えるべきです。

ドラッカーも、「未来は予想できないから、多くの議論を尽くし、異論を大事にすることによって、将来問題や危機が起こった時に対応するオプションを増やすべきである」と述べています。

<文責:大原浩>

★産業新潮社(「産業新潮」)HP

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