ケインズ もっとも偉大な経済学者の激動の生涯

ピーター・クラーク中央経済社

君子豹変

ケインズが経済学の歴史に偉大な足跡を残したことを否定する人はほとんどいないだろう。しかし、その評価はまるでジェットコースターのようにアップダウンを繰り返してきた。

 

また、アダム・スミス、フリードリヒ・ハイエク、ミルトン・フリードマン、さらにはカール・マルクスの主張には明確なイメージを持ちやすいが、ケインズの主張は一つの明確なイメージにまとめにくい。それは「君子豹変」という言葉に象徴されるカメレオンぶり(決して否定的意味では無い)のせいであると考える。

 

彼の有名な言葉に「状況が変わったのになぜ考え方を変えないのか?」というものがある。確かにその通りである。特に社会科学においては、考え方を変えることは「悪」とみなされがちで、同じ主張を繰り返すことが「終始一貫」していて好ましいことだと評価されがちである。

 

しかし、自然科学の世界では全く違う。新しい証拠が発見され状況が変われば、理論が変わるのが当然である。ニュートン力学はアインシュタインの相対性理論によって大きく改変されたし、そのアインシュタインが生涯否定的であった量子論は、現在の物理学の主流になっている。

 

さらに、太陽が地球の周りをまわっていると教えていたカトリック教会全盛の時代はともかく、20世紀の初頭には宇宙は銀河系の大きさであるというのが定説であった。もちろん、現在では宇宙の大きさは138億光年以上であることがはっきりしているし、宇宙は一つでは無いというマルチバース理論も勢力を増している。

 

だから、ケインズが考え方を現実に合わせて変えたのは自然科学的手法とも言える。

 

名医は机上の空論で治療しない

ケインズをもう一つの側面から分析すれば、彼は象牙の塔で机にかじりつく学者では無かったということである。

 

第1次世界大戦後の平和条約締結やブレトン・ウッズ体制の構築にも関わった(大蔵省の)官僚・役人でもあった。経済政策の結果がもののみごとに跳ね返ってくる「現場」にいれば、机上の空論にこだわって頑固な態度をとるバカらしさも良くわかったはずである。

 

また、彼は名医にも例えられるであろう。経済を患者とすれば、政治家、官僚・役人は医者である。医学・生理学のノーベル賞を受賞するほどの素晴らしい研究者であっても、個々の患者の治療の腕前はまったく別である。手先の不器用な医者にはメスを持ってほしくない・・・

 

患者の病状を把握し適切な治療を行う医療行為は言ってみれば経験と勘に裏打ちされた職人芸であって精緻な「医学理論」はあくまで補助的役割である。

 

ケインズは、研究熱心な医者であったといえるし、彼の評価もその観点から行うべきであろう。

 

真の自由には規制が不可欠である

筆者は基本的に「新自由主義」の立場をとる。ハイエクやフリードマンの理論を背景にしたサッチャーやレーガンの政策が典型であるが、誤解されがちなのは、彼らも「自由」を維持するためには政府や法律が不可欠であることを十分に理解していたことだ。

 

ジョン・ロックの市民政府論にもあるように、「他人が自分を殺す自由」を持っている無政府状態では、本当の意味の自由は存在しない。政府が「他人が自分を殺す自由」を取り上げてこそ、本当の自由社会が出現するのだ。

 

経済政策においても同様である。レーガンやサッチャー以前、あるいは現在のように特殊利権がはびこっている社会では「新自由主義」は大いに有効な政策である。

 

しかしアダム・スミスが鋭くも政府の重要な役割として、国防・警察以外に「商工業者のカルテル」の打破をあげていた様に、自由主義がカルテルの自由を是認し、特殊利権を生むという自己矛盾が存在する。

 

アダム・スミスは、お茶会であろうと舞踏会であろうと商工業者がカルテルの話をないことは無いと皮肉を述べているが、いわゆる「独占禁止」を行うことが政府の重要な役割である。

 

サッカー、野球、ラグビーどのようなスポーツでも、ルールと審判がいなければ単なる乱闘になってしまうが、社会にも法律と政府が存在しなければ単なる無法状態である。

 

負け続ければ誰も麻雀をやりたくない

自由競争が社会を発展させる原動力になるのは、これまでの歴史を振り返れば火を見るよりも明らかだ。

 

しかし、問題は競争には必ず勝者と敗者が生まれるということである。

 

例えば麻雀を例に挙げよう。このゲームには運・不運もあるが、概ね技術のすぐれたものが平均的には勝つから、経済活動によく似ている。

 

そして、麻雀が下手なものは運・不運があるにしても平均すれば必ず敗者になる。もちろん、麻雀が上達するように努力するのは自由だし、そうあるべきだが、持って生まれた才能が左右する部分も多々ある。そもそも、麻雀のルールは既に決まっていて変えることができない。

 

そうなると負け組の選択肢は、永遠に負け続けるか、麻雀卓をひっくり返して「革命」を宣言するかのどちらかしかない。

 

自由競争は素晴らしいが、そのルールは民主的手続きを経るにしても、社会や政府が決定するものであり、それが有利に働く人もいれば不利に働く人もいる。

 

だから、弱者(敗者)は、社会や政府が決めたルールによって生まれるとも言える。

 

ケインズが活躍したのは、大恐慌を挟んで第一次世界大戦から第二次世界大戦の間である。この英国の困難な時期に、ケインズが純粋な自由主義に修正を加え、政府が経済を導くことを否定しなかったのは偶然ではない。

 

敗者や弱者を無視する社会は永続性が無ことをよくわかっていたのである。

 

ケインズの教え

ケインズは、加熱した景気を引き締めでコントロールできることは認めていたが、落ち込んだ景気を低金利政策で浮上させることには懐疑的であった。

 

現在、世界中の中央銀行が超金融緩和政策を行っているが、「借金漬けで消費を行う特異な文化」を持つ米国以外では、それがうまく機能していないことを見ても、彼の正しさが分かる。

 

また、「金本位制」の復活には否定的であったが、それは金本位制は「為替調整」の機能を消失させるからである。ブレトンウッズ体制構築の際に、固定為替レートながら「変動幅」を導入したのは、「為替調整機能」をわずかながらでも温存するためである。

 

現在、この為替調整機能が大問題になっているのがEUである。ドイツが大幅な貿易黒字国となっているが、黒字の大部分は対EU加盟国に対するものである。

 

為替調整のからくりはこうだ。例えば日本が貿易黒字を出し続けると円高になって、輸入国の実質製品価格(輸入国通貨の換算レート)が上昇し、その結果輸入量が減少し日本の貿易黒字も減る。これが「為替調整」だ。

 

しかし、ユーロという単一通貨を導入したEU内では、かつてのマルク高のような現象は起こらず、統一通貨であるユーロの価値はどこの国でも不変である。したがってドイツの独り勝ちは為替調整されることなく永遠に続くのである。

 

今こそ、ケインズの知恵を経済政策に生かすべきではないだろうか?

 

( 文責:大原浩)

 

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