人口論

トマス・ロバート・マルサス 光文社古典文庫

 

 

 

現代の経済は食糧(農業)に制約されるのか?

トマス・ロバート・マルサスによって1798年に匿名の小冊子で発刊された本書が、人口の増減と世の中の繁栄(人々の幸福度)の相関関係に関して述べた本であることは間違いが無い。

しかし、本書において彼が親しかったデヴィット・ヒュームや、先人のアダム・スミス(ヒュームと親しかった)にしばしば(特にアダム・スミスに)言及しているように、底流に流れるのは「人間の営みと経済」に関する考察である。

人口が等比数的に増えるのに対して、人間に必要な生活物資(主に食糧)は等差級数的にしか増えないから、あるがままに人口が増えれば、増加した人口に対して必要物資がいきわたらなくなり、人口が抑制され均衡状態にまで減少する。これが永遠に繰り返されるというのが、マルサスの主張である。

資源や食料によって人口が限定されるという考え方は、歴史的には間違っていないだろう。

例えば、衛生管理が行き届き、死亡率が(当時の諸外国に比べて)低く大きな人口を抱えていた江戸時代の人々の生活が物質的には非常に貧しく、逆に恐ろしいほど不衛生でペストなどによる人口の激減を経験した欧州の人々が物質的に比較的豊かであったのは事実である。

ただ、マルサスの時代には考えも及ばなかったことだが、戦後の「緑の革命」も含めて、現代において単位耕作面積あたり、あるいは単位労働あたりの生産性が飛躍的に向上した。

彼の時代には、英国などの先進国でも人口の大部分は農民であったが、今や米国や日本の農民人口は数パーセントである。そのわずかな人口で人々の食料を賄っている(米国は余った農産物を大量に海外に輸出している)

アダム・スミスも「ジャガイモ」の効能を国富論で延々と述べているし、彼の同時代のフランスの学者たちも「重農主義」であり、この時代において食糧生産や農業は経済の中心的課題であった。

だから、マルサスが農業や食料に執着し、アダム・スミスが重視する交易などは結局「諸国民の富」を増やすことにはならないと述べているのも不思議では無い。

ただし、現代の先進国の経済を語るときにマルサスの人口論の主張は当てはまらない。もっとも、氷河期が突然やってきて農業生産が壊滅状態になれば別だが・・・・

「人口論」は生まれつつあった<邪悪なお花畑理論>=共産主義に対する警鐘である

本書でしばしば登場するゴドウィン氏とは、無政府主義の先駆者とされるウィリアム・ゴドウィンである。彼の妻は女権論者のメアリ・ウルストンクラフトである。そして、2人の間に生まれた娘は、あの有名な小説『フランケンシュタイン』の作者で詩人シェリーの妻であるメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(メアリ・シェリー)である。

本書で指摘されている内容を読む限り、ゴドウィン氏の主張は<邪悪なお花畑理論>の先駆、つまり現在の共産主義的な考えの持ち主であったようである。

それに対してマルサスは、いくら「お花畑ファンタジー」を語っても、「人類を存続させる(人口増加に伴う)食糧問題さえ解決できなければどうしようもない」という冷徹な現実を突きつけたわけである。

したがって<邪悪なお花畑>理論の共産主義者が本書を忌み嫌い、後のカール・マルクスも本書に対して批判的な評論を書いているのも当然である。

人間は満ち足りていないからこそ頑張る

本書が共産主義者に嫌われるのには、別の理由もある。

人類には人口と食料の関係のような難問(少なくとも当時は・・・)が山積しているが、その「難問があるからこそ人類は発展してきた」という主張をマルサスが行っているからである。

例えば、自然が豊かで食べるのに困らなければ、心地よい午後の昼寝をあきらめて働こうと思うだろうか?逆説的だが、飢えや寒さを克服しようと努力しなければ、人類はチンパンジーとさほど変わらない文明しか築けなかっただろう。

マイケル・ポーターも「経済の発展は<基礎的条件>にあまり左右されない」と述べている。例えば広い国土、産油国、若い人口が多いということは基礎的条件に恵まれているということだが、それらの国々のどれほどが先進国入りをしただろうか?

英国は北海油田が見つかったが、産油国とは言えないだろう。日本、ドイツ、さらにはシンガポール、台湾など基礎的条件に恵まれない国々の方が、はるかに発展している。むしろ基礎的条件に恵まれた産油国で先進国入りをしたのは米国だけと言ってよい。

「欠乏を埋めるために懸命に働くことが<諸国民の富>を増やす」という現実は、共産主義者にはまったく都合が悪い。彼ら武装したキリギリスは、勤勉なアリから暴力で資産を奪い贅沢をしている。

しかし、共産党に搾取されるアリたる国民もいつまでも勤勉であり続けるわけでは無い。国民たちもいずれはキリギリス化する。自分や家族の「欠乏」を埋めるために一生懸命に働いても、その成果を共産党にピンハネされるのではやっていられないからだ。

「結果の平等」をうたいながら、国民の財産を共産党がネコババする「結果の不平等」を推進する共産主義に対して、「機会の平等」が「結果の不平等」(つまり努力と実力の結果)を生み出すことを前提に、本書は人口・経済・人間について論じている。

(文責:大原 浩)

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