人間がサルやコンピュータと違うホントの理由 脳・意識・知能の正体に科学が迫る

ジェームス・トレフィル日本経済新聞社

私は「人間は神とサルの間に存在する」とよく言いますが、本書においては「人間はサルとコンピュータの間に存在するのか?」というのが終始一貫したテーマです。

もちろん、どちらの場合でも「二つの間のどのあたりに位置するのか?」というのは重要な問題であり、議論が尽きないところです。例えば「性善説」は、概ね人間が神様に近い方に位置すると考え、「性悪説」は人間がサルや野獣に近いと考える立場だとして受け取って間違いないでしょう。

本書の冒頭では「人間とサルの違い」、つまり「つまり生物界で人間は特別なのか?」という問いに対する答えを中心に展開していきます。実のところ、道具を使ったり、二足歩行をしたり、社会性を持ったりするようなことはサルをはじめとする多くの生物に見られる現象であり、特定の事柄を取り上げて「これこそが人間特有だ!」といえるようなものは今のところ見つかっていません。

しかしトレフィルは、サルが使う道具(木の枝)とジャンボジェット機とを比較して、同じ道具でも、その段階によって他と区別されるべきだと主張します。これは、本書のラストの<複雑系>に関する論述とも関係しますが、<変化の度合いが大きくなるとある時点で質的な転換が起こる創発>という現象と大きくかかわります。

例えば、個体の氷を温めていくと0度で液体の水になり、さらに温めると100度で気体の水蒸気になるようなものです。

後半では、コンピュータと人間の脳の違いにスポットが当たります。これまでも、AI(人工知能)ブームは何回もあり、今もその真っただ中にあるわけですが、そもそもIBMのワトソンをはじめとするコンピュータは人工知能ではなくエキスパート・システムと呼ばれる人間の脳の能力のごく一部を再現した機械にしかすぎません(IBM自身がそのように主張している)。

したがって、現在もAI(人工知能)と呼ぶべき人間の脳(全体)を模したコンピュータなど存在しません。

しかも、コンピュータエンジニアたちに脳科学の知識が不足しているせいで、脳もコンピュータと同じように電気信号で動いているという妄想が世の中に広がっています。確かに、脳や神経系統の中を電気信号が流れているのは事実ですが、それは言ってみれば「結果」にしかすぎません。

ニューロン間をはじめとする脳の情報伝達のほとんどは「神経伝達物質」によって行われます。つまり、脳や神経系も他の臓器と同じように「化学反応」によって動かされ、その活動の結果として電気が流れると考えるべきなのです。

また、脳は単独で活動しているのではなく、筋肉や脂肪まで含めたからだ中のあらゆる臓器と頻繁に情報交換を行っていることも最近明らかになってきました。

要するに、化学反応を起こさず、しかも体の他の臓器との連結も無いコンピュータを、人間の脳と比較することさえそもそもおかしく、両者は全く異なるものなのです。

例えば、そろばんと電卓は同じ計算をする道具ですが、その構造は全く違います。それと同じくらい脳とコンピュータは違うということです。

最後に「意識」という問題を複雑系を絡めながら論じます。「我思うゆえに我あり」というデカルトの言葉はあまりにも有名ですが、「心と体の二元論」を世の中に広めた功罪もあります。

精神と体は切り離せるという思想が流布しているため、脳のデータを記録して別人に移し替えるなどというSFが隆盛を極めるのですが、果たして実際はどうでしょうか?

これまで述べたように、人間の脳は身体中のすべての臓器と情報交換を行っているだけでなく、基本的には<化学反応>で制御されているわけですから、精神活動だけを取り出すことはできないように思えますし、本書の主張も同じです。

また、<意識>がどのように生まれるのかは<複雑系>における創発現象と関係があるのではないかと主張していますが同感です。

例えば、机の上に一粒の砂を置きます。たぶん何も起きないはずです。しかし、それを例えば100万回繰り返したらどうでしょうか?砂山ができて、いつか雪崩を起こすはずです。

しかし、ひとつひとつの砂粒に100万分の一の雪崩が存在すると言うことはできません。

同じように、数百兆個の脳細胞が集まって出来上がった脳が意識を持っていても、ひとつひとつの脳細胞が数百兆分の一の意識を持つということはできないのです。

<文責:大原浩>

 

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