選択の科学 コロンビア大学 ビジネススクール 特別講義
シーナ・アイエンガー 文芸春秋
見合い結婚か恋愛結婚か
現在の日本では、「取り決め婚」=見合い結婚は極めて少数派であり、自由恋愛による結婚が当然視されている。
しかし、日本でも少なくとも戦前までは見合い結婚が普通であり、本人の意志とは無関係に
親が結婚相手を決めることがおかしいと思う人はほとんどいなかった。
著者の母国インドでも「取り決め婚」が普通であり、結婚式が終わって初めて、新郎は新婦のベールを上げて、彼女の顔を見ることができた。
歴史的には取り決め婚の方が普遍的であり、自由恋愛による結婚が普及(古代から好ましからざる事例としては存在した・・・)したのは、ごく最近であり、世界全体の中で見ればまだ少数派かも知れない。
この事実が、著者に本書を書かせたといっても過言では無い。
現在我々は「自由恋愛至上主義」だが、その結果は離婚率の上昇であり、その影響は幼い子供たちにも及んでいる。
自分自身で熟慮をして行ったはずの選択が、往々にして好ましくない結果を引き起こす。逆に、自分自身の意志が全くと言っていいほど反映されずに、他人が選択したことの方が良い結果をもたらしたりする。
当たり前のように思われている「自分が選択権を保有すること」が人々に幸せを与えるという前提が正しいのかどうかが、本書の一大テーマである。
選択は大変である
よく言われるのが、「喫茶店のメニューは豊富にあるが、ほとんどの人がブレンドコーヒー」を注文するということである。私もランチは、豊富にあるメニューには目もくれずにAセットまたはBセットを注文することが多い。
ときどき、無数のメニューと格闘してなかなか注文しない客がいるが、はたから見ても大変そうだ・・・
ちなみに、典型的な米国のスーパーマーケットの取扱品目は1949年に3750種類であったが、本書執筆時には4万5000種類を超えていた。
そして、P&Gが26種類あったヘッド&ショルダーズのふけ防止シャンプーのうち、売り上げの少ないものを廃止して15種類に縛ったところ、売り上げは10%増加した。
さらに、著者の実験によれば、6種類の試食に立ち寄った客のうち、ジャムを購入したのは30%だったが、24種類の試食の場合実際にジャムを購入したのはたったの3%であった。
確かに我々の人生は、朝何時に起きるのかから始まって、いつ歯を磨いて眠るのかに至るまで膨大な数の選択にあふれている。
だから、習慣化したり「おすすめ」に素直に従ったりする方が楽なことが多い。
このような些細な選択について、人間が「選択権」を他人に預けることが多いことについて、読者に異論はないだろう。
しかし、結婚相手の選択という人生の重大事に関しては、自分の選択権を維持したいと考えるのが普通である。しかし、著者はそのような重大な選択でも、「他人に選択権を預ける」ことはよくあると鋭く指摘する。
例えば「延命装置のスイッチを切るとき」である。米国では医師が最終判断することは無く、例えば植物状態になったわが子の運命は親が決めなければならない。それに対してフランスでは、親が積極的な異議を述べない限り医師の判断にゆだねられる。
そして、両国の親たちを比較した調査では、フランスの方が明らかにストレスやトラウマが少ないのである。
このように、医師だけでは無く、弁護士、会計士、コンサルタントなどの専門家に判断をゆだねることはよくある。自分の大事な財産を他人に預けて運用してもらう投資信託も、投資の判断という重要な部分を他人任せにする行為である。
また、レーガン大統領をはじめ、占い師に重要な政策判断ゆだねる為政者は古代から少なくない。
選択は大いなる苦痛でもあるのだ。
文化によって違う「選択」の意識
ヘールト・ホフステードは、IBMの全世界で働く従業員を対象に、個人主義の度合いを調査した。各国の個人主義のスコアは次の通り(100点満点)
米国 91点
オーストラリア 90点
英国 89点
西ヨーロッパ諸国の大部分は 60点から80点
ロシア 39点
中国を含むアジア諸国は20点台
日本 46点
インド 48点
中南米諸国はおおむね10点~40点
グアテマラ 6店
東西アフリカ数か国が20点から30点の間と推定される
読者の、各国における集団主義と個人主義のイメージから言えば妥当な結果では無いだろうか?
別の実験では、アングロ・サクソン系の子供たちが、自分自身で選択した時に最大の成果を出すのに対して、アジア系の子供たちは母親が選択した時に、最も頑張って成果を出すという報告もなされている。
さらに、豊かさはあらゆるレベルで個人主義と正の相関関係がある。例えば米国のブルーカラーと中・上流階級を年収で比較した場合にもこの関係があるのだ。
人口密度は集団主義と正の相関関係があるが、これはアジアの人口密度が高いことと合致する。
そして、人間が年齢を重ねると集団主義的傾向を高めることも経験則と一致する。
つまり、特にアジア社会では個人の選択よりも集団の選択が重視される傾向にあり、それが社会の安定と、良い結果をもたらしている。また、欧米でも社会が成熟し高齢化すると集団主義的傾向が強まるということである。
現在、先進国で全体主義(集団主義)的傾向が強まっていることとも、このような原理と関係があるのかもしれない。
また、「自由の国」と呼ばれる国で暮らす米国人の大多数が宗教的であり、何らかの形で行動を禁止、強制する宗教上の規範を守っているし、「禁酒法運動」のようにむしろ戒律にこだわっているというのは見逃せない事実である。
選択を保留するという価値とコスト
ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのマイケルマーモット教授は、1967年以来数十年にわたって英国の20歳から64歳の公務員男性1万人余りを調査し、様々な職業階層に属する人を研修した。
その結果、収入が高い仕事ほどプレッシャーが多いにも関わらず、冠状動脈性心臓病で死亡する確率は、最も低い職業階層の公務員(ドアマンなど)が、最も高い階層の公務員よりも3倍高かった。2番目に高い階層の公務員(医師、弁護士、その他専門職など)でさえ、上司に比べればかなり健康リスクが高かったのだ。
明らかに、自己決定権の度合いが影響していると思われるし、飢えの心配が無く栄養満点の食事をとっているが自己選択権を奪われた動物園の動物の寿命が、自然界よりも短いこととも合致する。
この結果が意味するところは明らかだが、選択を保留するコストも無視できない。
ウィンドウズの実験というものがある。パソコン画面上にいくつもの窓(ウィンドウズ)が現れ、それをクリックするとパソコン画面上にいくつもの窓(ウィンドウズ)が現れ、それをクリックすると得点が得られる。何回かクリックしないでいると画面は消滅するが、クリックするとその後何回かは画面表示される。
実はどの窓も得点は同じなので、無駄なクリックをして窓をキープするのではなく、最初から同じ窓をひたすらクリックすればよいのだが、被験者にルールを説明しても無駄なクリックで、他の窓を残そうとする。
それほど、「選択枝を広げておく」というのは人間の本能なのだ。その典型が投資であろう。
長期投資が短期売買の繰り返しよりも有利なことは、行動経済学などの色々な研究から明らかなのだが、それでも大部分の人は、「毎日スクリーンを見て売買するという選択権」を行使して損失を累積する。
投資の基本はできるだけ「選択権を行使しない」という点にあるのだが、それは人間の本能に逆らうのでとても難しいのだ。
二つの自由の定義=「からの自由」と「する自由」
「自由」を考えるときに忘れがちなのは、「自由」には大きく二つのタイプがあるということである。
一つ目は「からの自由」であり、独裁政権、ワンマン経営者、独善的な校長などから自分の望まないことを押し付けられずに行動できることである。
もう一つは「する自由」である。例えばパリに旅行に行きたいと思ったとしよう。犯罪者として追われているようなことでも無い限り、日本人であればいつでも自由に行ける。しかし、無収入で貯金も無ければ、行くことができない。この場合「からの自由」はあっても「する自由」は無い。
ヨーロッパ人の54%が収入は運次第だと考えている。米国人は30%である。欧州で左翼がはびこるのも、多くの人々が自分たちには「する自由」が奪われていると感じているからだ。
2007年の調査によれば、ドイツ人の5人に一人以上がベルリンの壁を元に戻したいと考えていた。旧東ドイツ人の97%が、ドイツの民主主義に失望を感じ、90%以上が社会主義は理論的にすぐれた思想で、過去の失敗は、単に実行に移す方法がまずかったせいに過ぎないと考えているのだ。
共産主義は、これまでの歴史を見る限り<邪悪なお花畑論>に過ぎないが、それでも「する自由」を与え得てくれるのではないかというファンタジーを振りまきながら増殖している。
共産主義では「からの自由」が全く保証されないにもかかわらずだ。
先進資本主義諸国は「からの自由」をおおむね確立しただけでは無く「する自由」もかなり確保しているが、それでも人間の欲には限りが無く、共産主義が「する自由」を与えてくれるという妄想にとりつかれている人々が多いことには驚かされる。
(文責:大原浩)
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