お師僧の思い出
お師僧の思い出
6月21日、高野山真言宗傳燈大阿闍梨 大栗道榮大僧正が遷化されました。四国八十八カ所第十三番大日寺に生を受け、中央大学・高野山専修学院を卒業され阿闍梨となられた後は、仏道同様に企業経営にも邁進する日々でした。
40歳前後で手形詐欺に遭い膨大な借金を背負い、「なぜ私は密教修行をしたのに、このような目に合うのか」と自問、借金返済に奔走しながらも、真言密教を極め直す日々でした。
ただ40歳の阿闍梨の学び直しは、容易ではありませんでした。各分野の泰斗を訪問し、時間とお金をかける中で、いつしか「返済が叶ったら、社会人が真言密教を学ぶ道場を設立しよう」と誓われました。そして45歳にして設立されたのが八幡大師大日寺、約8年、私が密教を学んだお寺です。
師からみれば、「お前など弟子の数には入っていない」ということでしょう。「間違っても高野山で、ワシの弟子だとは言うなよ!」とよく叱られました。私ごときが高野山で話題になるはずもありませんが、あるいはお寺にご迷惑をかけていたのかもしれません。
「本物の弟子は1人育てれば良い。育たなければご本尊様を地下に埋めるまで」と言われておりました。私も今や57歳、お師僧の教えを社会に還元する時間も、もう限られて来ております。
大日寺の弟子育成の根幹は「躾読本」です。挨拶、靴を出船に揃える、食前食後の挨拶(頂きます・ごちそうさま)など生活の要諦が約30ページにまとまっています。弟子は全員、暗記します。私は頭で仏教を理解し、お師僧は体に染み込ませろと言います。
その気持も理解せず、「高野山大学の修士過程を学びたい」などと言う弟子も後を絶ちません。私もその一人、「密教に教学は不可欠」と食い下がる私にお師僧は、「榮昭(私の僧侶名)よ、お寺ではな、ワシがカラスは白い、と言ったら白いんじゃよ」と叱られました。二兎を追う者は一兎をも得ず、結局どちらの学びも続きませんでした。
9月12日(日)、涓塵会(けんじんかい:https://www.t-sousai.co.jp/event/)という仏教研修団体で、曹洞宗の大本山・福井県永平寺を訪問しました。お師僧の面影を追う旅となりました。開祖は道元。頭で理解する「仏教」は頭の体操、仏を生きる、仏として生きる「仏道」こそがそのまま悟りなのだ、と説きます。
「躾読本」と同じ発想です。実践重視の上で思想性が深く、その点もお師僧と同じです。涓塵会のトップは高野山の高僧でもありますが、若き日にこの永平寺を訪問、真言密教の奥義を武器に道場破りに挑みます。この高僧は20年後、永平寺の朝課(真言宗でいう朝の勤行)で内陣(その宗派の高僧した入れない神聖な場所)に迎え入れられ、若き日の挑戦は見事に結実しました。他宗派の僧侶が大本山の内陣に入るのは、永平寺開山以来かもしれません。私は10年を経てようやく、他宗派の道場で、お師僧の真意に触れることができました。
私にとってのお師僧は、経営者の密教を探求された方でした。高野山にも様々な思いはあったでしょうが、そこは私には分かりません。経営者の密教という意味では、私も後継者の一人と勝手に自負しております。お師僧はそうした自信過剰をこよなく愛された、私はそう思うことにしております。
経営者目線では、修行生のカリキュラムは厳しいものでした。ただ僧侶目線では、たとえば高野山から見ると、中途半端なのでしょう。
今は素人に四度加行(阿闍梨になるための密教秘伝)を伝授する寺院も増えました。大半は単立寺院(高野山などの本山とは関係を持たない寺院)です。大日寺は20年進んでいました。お寺は進んでいても私は凡人、とはいえ20年後の仏教に触れた経験は無駄ではない、私はそう考えております。
私はお師僧からは8年で2回褒められました。1回目は「人生最後の日、何をするか?」という課題への回答でした。私は「恥ずかしい物品を処分し、謝罪すべき人に謝罪し、愛を伝えるべき人に愛を伝え、いつも見慣れた楽しい景色を目に焼き付けて死を迎える」と書きました。
他の修行生は全員、過去の名僧の故事などを散りばめ、壇での仏への祈りの中で最後を迎えたい、といった内容でした。「しまった!」と思いました。ただ「人生の最後まで読経とは、あの世で後悔しても遅いぞ」と心の中でつぶやきました。お師僧は「最後は模範解答じゃ」といって、私の回答を読み上げました。そして「お前達、密教バカはあかんぞ!」と言われました。
2回目は声明(仏教音楽)の習礼(練習)です。気分良く唄っていたら、2階で休まれていたお師僧が急いで階段を降りてこられました。「あれ、何か間違えたかな」と緊張していると「榮昭、よく唄った!これはご褒美じゃ」とみかんを1つ頂きました。道場ではあまり考えられない光景、この日から私は、声明が大好きになりました。
1回だけお師僧に「カラスは黒い」と申し上げました。道門会という経営者の勉強会を企画した折のことです。問題は料金設定でした。仏教には金持ちも貧乏人もありません。また布教は金儲けではありません。そのため大日寺の勉強会は1回3千円程度です。私はせめて、1回1万円にするべきだ、と申し上げました。
経営者は本物を求めます。経営の世界では、本物は対価を支払って、初めて本物になります。コンテンツは仏教でも、受講生は経営者です。仏教では「同事」と言いますが、いくら仏様が上でも、相手の目線に合わせなければ教えは広まりません。料金が高いなら、それでもなお喜ばれるように、さらにコンテンツを磨けば良いだけの話、当時の私は、5万円でも高いとは思いませんでした。
大日寺史上初めて、カラスが黒くなりました。1回1万円で勉強会がスタートしたのです。ただ私がいなくなると、いつしか料金は5千円に下がりました。相手が傳燈大阿闍梨では、カラスまでもが、すぐ白くなってしまうのです。
ただ当時の経営者は何人か、その後も10年、通い続けているようでした。先日、そのうちのお一人と大日寺の前でバッタリと出会い、旧交を温めました。経営者仲間を数人、連れておりました。
話は永平寺に戻ります。あまりに厳格で純粋な道元の教えは、人々には受け入れられず、曹洞宗は壊滅の危機を迎えます。そこで活躍するのが瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)、総持寺の開祖です。ここからは私の勝手な思い込みです。道元の教えをこの世に残すため、武家・民衆の関心に合わせ、道元の意向に沿わないとも考えられていた教えをも程よくブレンドします。曹洞宗は息を吹き返し、今日、伝統仏教最大の寺院数を誇ります。8割が瑩山紹瑾の系統と言われます。
「我、未だ瑩山紹瑾たるを得ず」、邪教に明け暮れるうち、私は「コーヒーを入れないクリープ」に成り果ててしまいました。それでも最近、人生経験を重ね、コーヒーの味がまた少し、分かってきたような気もします。どこかの世で本物の美味しいコーヒーを是非、もう一度自称「弟子」にご馳走して下さいませ。そして安らかにおやすみ下さいませ。 感謝合掌
南無大師遍照金剛 沼田 榮昭 拝
◎本レポートは、リアル曼荼羅プロジェクト・メルマガ15 【2021年9月21日:魚座満月】の文章を、大原浩の責任により、抜粋編集したものです。
★南無大師遍照金剛 沼田 榮昭
沼田功
ファイブアイズ・ネットワークス株式会社 代表取締役
日本証券アナリスト協会検定会員
復旦大学日本研究センター客員研究員
1964年 東京都練馬区に生まれる。
1988年 大和証券株式会社入社(本店第二営業部池袋支店配属)。
2000年 ファイブアイズ・ネットワークス株式会社設立 代表取締役(現任)
株式会社サイバーエージェント 監査役(現在は取締役監査等委員)。
2013年 徳石忠源(上海)投資管理有限公司(リンキンオリエント)
マネージング ディレクター(現任)、その他2社未公開会社の社外取締役を兼務。
著書 「IPO(株式公開)入門」(オーエス出版社)。
生涯100社上場を目指し、サイバーエージェント、楽天をはじめ現在70社を更新中。
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