研究論文:中国が民主主義を受け入れない理由
研究論文:中国が民主主義を受け入れない理由
中国の経済成長はかつての勢いこそ衰えたとはいえ、政府発表の統計を信じるなら大都市部の一人当たりGDPは2万米ドルに近い水準となっている。欧米人は中国が豊かになれば民主化が進むと考えていたが、国家主席の終身制も進められる状況では民主主義や法治が実現される見込みは薄い。実際のところ、豊かになれば民主化するという期待は、チャートの形を見て株価が上昇すると考えるのと大差ないように思われる。根本的な見誤りは、チャイナの社会が民主化しないには合理的な理由があると想定しないことだろう。
世界で民主主義が機能している国々は、中世以降に封建社会を経験した地域であることが多い。代表的な例が西欧や日本であり、インドなどにも同様の社会構造が存在したとされる。その関係に学術的な根拠が認められるわけではないが、重複性には注目してもよいだろう。封建制では、王家と在地領主およびその家臣団の間で忠誠と領地支配権のトレードオフが行われた。身分の固定された社会ではあるが、御恩と奉公の契約関係により下級身分が上位権力を承認するシステムでもあり、大衆が政治権力の行使者を選択するという議会制民主主義を受け入れる下地が形成されたと考えられる。封建領主にとって領地や領民はその権力の源泉であり、苛酷な統治を続けて領民を失った場合領地経営が立ち行かなくなる。領民には一定の配慮や保護が必要で、無制限な圧政を続けることは困難なのだ。また、宗教的イデオロギーも重要で、絶対的宗教権威と政治権力が強く結びついている場合、民主主義への移行は難しい。世俗権力は契約対象となり得ても、宗教権威に対する選択権など存在できないからだ。
近代以前のチャイナの社会はどうであったか?東周時代までは、同姓の男系集団である宗族を中心とする領主の連合体が国家を形成していた。しかし、秦帝国の成立により中央集権的な官僚制度が地主と政治権力の分離を進める。隋唐朝で科挙制度が確立してからは、その傾向に拍車がかかった。政治権力は科挙試験で選抜された官僚が振るい、頻繁な異動のため官僚が在地領主になることは許されなかった。官僚の権力の源泉は皇帝から与えられた地位であり、圧政で任地が疲弊したとしても、収奪した富の一部を官場(官僚の世界)でばら撒けば問題にならない。そのため、チャイナには Feudalism の概念に相当する封建制度が成立しなかったと考えられる。
高級官僚の登竜門である科挙に合格するには並々ならぬ勉学が必要で、その教育投資に耐えるには、宗族で団結しスケールメリットを活かした農地経営や商売のような経済的な背景を備える富裕な一族が有利であった。同族から合格者が出れば、官僚としての許認可権に伴う収賄収入で一族への再投資が可能となる。昇進し権限が大きくなれば、官僚ネットワークを活用して故郷の宗族への利益誘導が自由にできる。こうして代々官僚を生み出す士大夫階級が生み出された。ただし官僚は世襲ではないため、一族からの科挙合格者が途絶えれば没落する。戦乱や政争による失脚も多い。一般的に、特定の宗族が繁栄できたのは数世代と言われる。ある宗族が没落すれば別の一族が科挙合格者の席を確保して新たに栄達の階段を上り始める。没落した宗族も、子孫から再び科挙合格者を輩出すれば一代で盛り返しが可能だ。このシステムは6世紀から清朝の倒れる20世紀初めまで連綿と続けられた。
チャイナの歴史では200~300年ごとに易姓革命による王朝の交替を繰り返したが、官僚制を抱える専制帝国の枠組みは変わることがなかった。この枠組みに乗れば、異民族の征服者であっても短期間で新王朝を設立することが可能であった。宮中で皇族とその外戚、宦官が恣意的に権力を振るう一方、地方の実務的統治は科挙で選抜された官僚集団が行う。官僚の出身母体となっているのは在地の士大夫層である。士大夫が封建領主と根本的に違う点は、試験を通じて常に選ばれる側であることだ。士大夫には保護すべき領地や領民はなく、御恩と奉公の契約関係を政府と結んでいるわけでもない。科挙に受かれば官僚に任じられ、各地を転任する間に収賄に励んで一族が費やしてきた教育投資の回収を行う。大事にすべきなのは自分の一族と、官僚ネットワークを通じて協力関係にある仲間の一族だけで、見ず知らずの任地は収奪の対象でしかない。そのため、公共投資などがその土地を担当する役所ではなく有力な宗族によって行われることも珍しくなかった。その原資は、一族出身の官僚がどこか別の場所で収奪してきたものだ。
歴史上、チャイナの官僚は一部の変わり者を除いてほぼ全員が収賄を行っている。正史には多くの官僚が収賄の罪で罰せられた記録が残っているが、それは政争に敗れた結果か皇帝の気まぐれのせいであって、収賄が根本的な原因とは言えない。現代中国で展開されている反腐敗運動も、同様に権力闘争の道具と考えられる。我々は贈収賄を絶対悪とみなすが、チャイナの人々は必ずしもそうは考えていないと思われる。なぜ民主主義国家で贈収賄が悪とされるのか。それは、国家の主権者である国民へのサービス提供が賄賂によって公平性を歪められるからだ。だが民主国家でなければ主権者は君主であり、その場合問題視されるのは、特定人物の収賄が社会の不満を招き君主の治世に瑕疵を付けることだ。収賄が悪いのではなく、世論の不興を買うような人格が批判対象なのだ。
中国共産党は現在「汚職は国を亡ぼす」として反腐敗運動を推進しているが、チャイナの歴史においてそれは事実であったろうか。前近代社会には生産性の問題から人口の上限があり、限界点に近づくと食糧の分配が十分に行えなくなる。官僚を多数輩出して利益誘導のできる地域に比べて収奪による流出の方が多い地方は次第に耐え切れなくなり、反乱が発生すると治乱興亡サイクルの王朝滅亡の段階となる。官僚の腐敗そのものが反乱の原因なのではない。汚職は社会情勢に関わりなく常時行われており平時には問題視されない、人民が牙を剥くのは生産物分配の困難が生存危機の臨界点に達したときだ。そうした混乱の渦中で士大夫層の多くは事態を静観し、戦乱を制した者が新たな王朝を開くと科挙に応じ出仕する。こうして専制君主と官僚制の中央集権構造が速やかに復旧し、戦乱による人口調節もあってしばらくは安定が続くことになる。科挙導入以降のチャイナでは、反乱が王朝を倒した後には各勢力が最後の1つになるまで争って新たな専制王朝を開き、地方に根差した領主が割拠するという状況にはならなかった。
辛亥革命によって最後の王朝である清が倒れた後、中華民国は10年余りの軍閥間の内戦を経て蒋介石の国民政府に統合された。とはいえ、政府による軍閥支配地への関与は限定的で集権的な国家運営は行えなかったし、科挙も復活していない。その状態が固定されて軍閥単位の近代的国民国家群が形成されていたら、後世のチャイナの社会は違ったものになったかも知れない。国共内戦に敗れ台湾に押し込められた中華民国は、国民国家として民主化しているからだ。もちろん、日本による台湾統治が民主化に与えた影響の大きさは無視できないのだが。ともあれ、大陸は中華人民共和国が再統一し、今日に至るまで共産党一党独裁による強権的支配を続けている。1966年から76年にかけての文化大革命期には宗族制をはじめチャイナの伝統的な価値観や文化が徹底的な破壊を受けたが、文革終結から40年余りを経た現在の中国には、再び伝統的な社会構造が復活しているように思われる。
改革開放以降多くの共産党員が帝政期の役人と同様にその権限とコネを活用して富を築き、彼らはさながら現代の士大夫階級となりつつある。親族に民主活動家のような反党的分子がいなければ、特に大卒以上であれば共産党員になるのは難しいことではないという。とはいえ、それなりの役職につき将来の幹部を目指すにはカネとコネが必須だ。中等教育現場の推薦により入団者の選出される共産主義青年団はエリートの養成機関とされてきたが、このところ逆風が続いている。それには、富裕層子弟の登用枠を確保する意味合いもあるのだろう。教育投資を受けた富裕層の子女が政府の職権を手にすれば当然のように収賄で蓄財し、富裕層を再生産する。過酷な試験を経ていないところが科挙制度とは異なるが、経済的余裕がなければ到底合格できない水準の学習量を要求する試験である以上、科挙も士大夫という富裕層を再生産するシステムと言えるだろう。
勉学に励んだ教養人官僚の中から、更に激しい出世争いを勝ち抜いて頭角を現した者が国家を運営する。それは効率的なシステムと思われる。無知蒙昧な庶民により人気投票で選出された議員が不適切な決定を下す可能性のある民主主義は、ナンセンスとも見えるのだろう。それでも、領民への配慮を必要とする社会形態を経験した地域では、強権的な制度よりたとえ衆愚政治と揶揄されたしても民主主義に志向性を持つ。そして、効率性は必ずしも最適解を導くとは限らない。しかし、弱肉強食の掟に従い一族だけを頼りに他者は収奪の対象と見た方が生存確率の高かったチャイナの社会風土では、同様の感覚を持てないのではないだろうか。
<人間経済科学研究所:研究パートナー>
藤原 相禅 (ふじわら そうぜん)
個人投資家
広島大学文学部卒業
日本大学大学院で経済学修士
地方新聞記者、中国・東南アジア市場での先物トレーダーを経て、米国系経済通信社で商品市況を担当。子育てのため一家でニュージーランドに移住。台湾出身の妻の実家が営む健康食品メーカーの経営に参画。
商品相場歴30年余。2010年から原油相場ブログ「油を売る日々 (https://ameblo.jp/sozen22/)」を運営。
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