経済学ルネサンス・人間経済科学登場

(1) 経済学ルネサンス・人間経済科学登場

役に立つ経済学とは

経済学が経済やビジネスの実践で役に立たない机上の空論であるという話はよく聞く。欧米では「経済学がどれほど役に立たない学問なのか」ということは、むかしから繰り返しジョークのタネにされているほどだ。実際、私が大学を卒業してから35年あまり、金融市場を中心に経済・ビジネスと向き合ってきた中でも経済学(いわゆるマルクス経済学、近代経済学)が何かの役に立ったという記憶はほとんど無い。なぜ経済学が役に立たないのか?それは、現在主流の経済学が「唯物論」に傾斜し、「生身の人間」のことを忘れ去っているからである。

 現在の欧州からは想像できないが、中世暗黒時代はカルト的なカトリック教会が支配する、現代で言えば北朝鮮に匹敵するおぞましい時期であった。人間の創造性・探求心は封じ込められ、神の代理人を称するカトリック教会の教えに少しでも反すれば、拷問師という教会が雇ったプロフェッショナルのむごい拷問を受け、そのうえ生きたま火に焼かれたり八つ裂きにされたりしたのである。アダム・スミスが1776年に「国富論」を著し、合理的かつ科学的に「経済」を学問として捉えることに成功したときでさえ、欧州ではまだ魔女狩りが行われていて、「国富論」や「道徳感情論」の中には、カトリック教会に対して(異端審問でつるし上げられないように)かなり気を使った文章が散見される。

 したがって、アダム・スミス没後の経済学において「神の呪縛から逃れるための唯物論」が発達したのはある意味自然であったかもしれない(念のため、アダム・スミスは道徳哲学の教授であり、唯物論とは対極の「人間中心の経済」を研究していた)。
 
経済学ルネサンス

 古代ギリシャ・ローマが偉大な繁栄を遂げていたということに異論はないであろう。しかし、テオドシウス1世によって392年にキリスト教がローマ国教とされて以来、おおよそ10世紀(1000年)の間のキリスト(カトリック)教会支配のもと、西ヨーロッパ圏では素晴らしい古代ギリシャ・ローマ文化の破壊が行われたということは、大多数の研究者が認める事実である(古代ギリシャ・ローマの英知はイスラム圏で継承され、後に逆輸入された)。

 したがって14世紀にイタリアで始まったルネサンスが無ければ、いまだに欧州は恐怖と暴力で支配される暗黒大陸であったはずだ。神(キリスト教)による非人間的支配から解き放たれ、「人間性」に満ち溢れていた古代ギリシャ・ローマ時代の文化が「復興」されたのである。
 ところが不幸なことに、経済学の分野では、人間性にあふれたアダム・スミスの研究が唯物論という(神とは別の)「非人間的」要素によってその偉大な成果が破壊される時代が長く続いだ。

 そこで、私と有地浩(大蔵省(財務省)・国際金融公社(世界銀行グループ)OB)は、「人間性に満ち溢れた経済学」を復興すべく、2018年4月に「人間経済科学研究所(https://j-kk.org/)を設立した。

 詳しい設立の趣旨や研究論文などはHPを参照いただくとして、本連載では過去の連載に登場したウォーレン・E・バフェット、ピータ―・F・ドラッカー、マイケル・ポーター、老子などの哲学に触れながら「人間経済科学」の本質をできる限り平易に解説する。

自然科学と人間経済科学

アダム・スミスは、唯物論的主張を全く行わなかったが、自然科学に関して豊富な知識を持っていた。彼の友人には多くの自然科学者がおり、彼らと定期的に「オイスタークラブ」というランチ会を開催し、当時最先端の自然科学の知識を入手していたのである。

自然科学というと方程式や実験などが思い浮かぶが、科学的手法はそれだけでは無い。「観察」も極めて重要なやり方の一つである。「ファーブル昆虫記」やチャールズ・ダーウィンの「種の起源」は、観察による偉大な科学的成果の一つだ。

 生物学・生態学においては特に観察が重要になる。もちろん生物あるいは生物の生態が方程式や実験だけでは解明できない存在だからであるが、それだけではなく、生物や生物が生み出す社会は極めて複雑なものである。

 近年脚光を浴びている自然科学に「複雑系」がある。文字通り複雑でその実態を解き明かすのが困難な存在を扱う科学である。「赤道上で一羽の蝶が羽ばたいて起こした空気の振動が、巡りめぐって台風を引き起こす(バタフライ・エフェクト)」というまるで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の逸話をご存知の方も多いと思うが、どの蝶の羽ばたきが台風を引き起こすのかを調べるのは事実上不可能である。

 同じように、人間社会・経済においても、どの個人の行動が株価の暴落や恐慌を引き起こす引き金(蝶の羽ばたき)になるのかを分析するのは不可能だ。しかし、集団としての人間心理を、様々な現象を引き起こす状況を観察することによって分析することはある程度可能である。その集団としての人間心理をアダム・スミスは「道徳感情論」の中で「共感」と名付け、詳細に解説している。

 自然の空気や砂粒と違って、社会を構成する個々の人間には多種多様な「意志」や「感情」があることはやっかいなことだが、逆にそのことが予測不能な「複雑系」を解明する一つの手がかりになる可能性もある。空気や砂粒を構成する究極の粒子(素粒子)の動きは、全くランダムで確率でしか表現できないが、人間の意志や感情にははっきりとした方向性がある。もちろん、雨粒が集まって大河の流れになるまでには多くの過程があるように、個々人の意思や感情が社会の大きな流れになるまでには複雑な過程がある。しかし、それでもこの人間の感情や意志が、複雑な経済を理解する上での重要な糸口であることに変わりは無いのだ。

市場と自由主義と経済

ノーベル経済学賞の栄誉に輝いたフリードリヒ・ハイエク(1974年受賞)やミルトン・フリードマン(1976年受賞)は、現代の経済学会ではアウトサイダー扱いであり、中世であれば異端審問の憂き目にあっていたかもしれない。しかし、人間経済科学が目指す「ルネサンス」が指し示すのは、彼らが歩んできた道筋である。

アダム・スミスは市場の自律的機能を重視し「見えざる手(決して『神の』では無い)」というその働きに信頼を置いた。

ハイエクたちも、国家の機能は国防や警察などの最小限にとどめ、個人の自由を尊重する自由主義者(本来の意味でのリベラル)だ。

したがって、「個々人の自由意思(感情)の集合体である市場」がもっとも合理的な経済の運営体であると主張するのだ。

ちなみに米国でも日本でも「リベラル」という言葉は全く反対の意味に誤用されているのは、ミルトン・フリードマンがその著書「資本主義と自由」で鋭く指摘する通りである。
本連載では、間違って伝わっているアダム・スミスの真の言葉を復興することも目指す。

(文責:大原浩)

★本レポートは、月刊:産業新潮(http://sangyoshincho.world.coocan.jp/)の連載「人間経済科学と賢人たちの教え」第1回のために執筆されたものである。

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