仏教は本来一つ
【アーバンブッディズムとは何か?】
「アーバン・ブッディズム」とは宝瑞院が提唱する仏教で、宝瑞院の公開企画会議等では、アーバン・ブッディズムを推進するためのディスカッションを⾏います。
仏陀や弘法⼤師の時代(両者の間にも差がありますが)は、経済情勢(収⼊)・時間的余裕・修⾏の難易度のどの観点からも、⼀般の⽅は、⽣活を捨てて修⾏をするより他に選択肢がありませんでした。
多くの⼈を救うとする「⼤乗仏教」も、「出家者が修⾏をして、在家者は出家者を経済的に⽀える」という古い構造から現在も抜け出せていないように⾒えます。これが⽇本の仏教衰退の根本原因だと私は考えております。
明治政府のの神仏分離令は、⼤乗仏教として広く機能した修験道を破壊し、仏教を権威主義の⽅向に追い込みました。
⽶国・中国の仏教の状況と⽐較すると、この点がよく⾒えます。
お釈迦様の時代は数年で修⾏が完成(阿羅漢に到達)し、出家は必要にせよ、修⾏は⼈⽣の⼀部分に過ぎませんでした。
修⾏の必要性から⽣まれた出家制度が、いつしか権威化・利権化していきました。これは⼤乗仏教が「⼩乗仏教」を批判した視点でもありますし、浄⼟宗が強調する視点でもあります。
ただ結果として⽇本の仏教は、浄⼟宗も含め改⾰の試みが成功すると、私の主観に過ぎませんが、権威化・利権化の罠に次々と嵌ってしまいました。
時代背景として現代は、経済⾯での繁栄、脳科学・量⼦論・⼼理学などの進化、情報流通技術の発展(とりわけネットの活⽤、WEB3、DAOの導⼊)により、⾃宅・職場でも悟れる時代となりました。
私がお世話になったお寺も同じ考えで運営されておりましたが、阿闍梨取得には概ね10年を要しました。少林寺気功協会(中国・嵩⼭少林寺)も在家修⾏の団体ですが、師範取得まではやはり10年前後、例えば100種類以上の瞑想法をマスターする必要があります。
スピリチュアルな⼿法も多種多様ですが、仏教を経験した⽴場で⾒ると、「⽬覚め」に⾄るものは多くはありません。
ただ有益な⼿法はどの分野からでも、積極的に取り⼊れるのが私のスタンスです。
【⽶国のアーバン・ヨギ】
⽶国には「アーバン・ヨギ」という⾔葉があり、経営者やセレブが、⾷事や戒律の観点からも本場と遜⾊のないヨガを、⽇常⽣活に融合する形で修⾏して、経済⾯・ストレス逓減⾯で⼤きな成果を上げております。
仏教も⽶国では同じ発想で広がっており、これを私は「アーバン・ブッディズム」と名づけました。
また⽶国の仏教は「プラクティス(修⾏⽅法)・ベース」だと⾔われます。⼤乗仏教・⼩乗仏教は、教義の整合性は乏しいのですが、プラクティス(修⾏⽅法)の⾯では⼀貫したものが⾒られます。
「宗教はキリスト教で、瞑想(プラクティス)は仏教で」という⼈も⽶国では増えており、プラクティス・ベースがかなり徹底している印象を受けます。仏教は、教義そのものが執着になり兼ねず、中⼼はプラクティスです。
プラクティス(定)の効果を⾼めるために「戒」が⽣まれ、プラクティスの結果を後進のために「慧」として教義化しました。
プラクティス・ベースの仏教は⽇本が先輩で、鎌倉仏教は禅宗(坐禅)、浄⼟宗・浄⼟真宗(称名念仏)、⽇蓮宗(唱題)と、プラクティスで宗派が分かれました。
私たちが開発したプラクティスの第⼀弾が「⾳のお守り」です。浄⼟宗のプラクティスは称名念仏(南無阿弥陀仏)ですが、この点に関してはいずれ、理論的なお話ができればと考えております。
⽶国では経営者・セレブ中⼼の運動で留まっておりますが、⽇本では可能な限り、このハードルを下げたいと私は考えております。「⼈が⽬覚め豊かになる」ことで「仏教が盛り上がる」、⽶国で形成され始めているこうしたサイクルを、⽇本で実現するのが私の願いです。
これが22世紀の⽇本の⼤乗仏教のあるべき姿と想定しております。
この⼿法で⽇本の仏教寺院の再⽣を図り、地域・農村・中⼩企業の再⽣など、資本主義の競争原理では抜け落ちてしまう様々な「⽇本の⼼」の再⽣に、真剣に取り組む⼈たちを私は育成したいと願っております。
【⽇本特有の論点】
⽇本の仏教にもう⼀つ、私は⼤きな課題を感じております。仏教らしからぬ強固な宗派性です。
⽶国の仏教「教師」は、最低3宗派をマスターすると⾔われます。⽇本の仏教「教師」はどの宗派でも1つだけ、たとえば浄⼟宗で教師になるには、真⾔宗の教師は諦める制度設計となっております。
中国でも仏教は、まずはお釈迦様の教え、教師資格は仏教の⼀種類のようです。⽇本では⾃⼒とされる禅宗と、他⼒とされる浄⼟教が、⼀つの寺院で研究されます。
中国では理論的な位置付けは議論されても、あくまでも仏教は仏教なのです。
⽇本では、たとえば浄⼟宗系は阿弥陀如来中⼼、⽇蓮宗は法華経中⼼です。両者は仲が悪い印象がありますが、両者の⼤元である天台宗は「朝題⽬(南無妙法蓮華経:⽇蓮宗)、⼣念仏(南無阿弥陀仏:浄⼟宗)」と、双⽅を取り⼊れます。
これは定⾒がない姿勢を批判する⾔葉でもありますが、国際的に⾒れば、またプラクティス・ベースで考えれば、こちらが⼀般的な仏教の姿勢です。
仏教の本質はお釈迦様の教え、プラクティスはそこに⾄る⼿段に過ぎません。そこを争うのは⽇本⼈らしくないようにも感じます。
ただ⼀⽅で、⽇本の仏教には特有の素晴らしさが数多くあります。私が本当に強調したいのは、むしろこちらです。
⽇本の⾃然、⾵⼟、気候、⾷物は、プラクティス(仏教修⾏)に最適です。さらに突き抜けた⼤乗仏教・神仏習合の伝統があり、世界で最も優しい(要するに⼈間誰もが、出家・在家を問わず、男⼥も問わず全ての⼈が救われ、さらに⾃然にも仏性が宿るとする)仏教を展開します。
⼈間以外に仏性を認めるのは⽇本特有の考え⽅とも考えられ、教義としての妥当性はともかくとして、プラクティスには⼤変有益な教えだと思います。
お釈迦様の教えは、中央に実質的な権⼒が存在しない中空均衡構造に⾒えます。⽇本の神話とこの点は似ております。
真⾔密教の曼荼羅の中⼼は⼤⽇如来、私は中空均衡構造の現れと解釈しております。
最終的には「私」が⼤⽇如来なのです。
チベット密教の中⼼は阿閦如来、この仏様は薬師如来と同体ともいわれ、現世利益・病気平癒・無病息災にご利益がある、具体的な仏様です。つまり中⼼統合構造の曼荼羅なのです。
⽐叡⼭延暦寺(天台宗の総本⼭)の根本中堂のご本尊は薬師如来ですが、無意識に最澄は、中⼼統合構造による仏教の統合を夢⾒たのかもしれません。
⽇本は東の国なので、東⽅浄瑠璃浄⼟の教主である薬師如来を、⽇本国家の根本仏と捉えられたのかもしれません。極楽浄⼟への⾏き⽅は阿弥陀経などに記述がありますが、浄瑠璃浄⼟への⾏き⽅はお経には記載されておりません。
この浄瑠璃浄⼟こそが⽇本であるべきだ、と考えられたのかもしれません。勝⼿な妄想に過ぎませんが、そうだとすると、なかなか粋な仏教だと思います。
◎本レポートは、リアル曼荼羅プロジェクト・メルマガ38【2023年6⽉号】
を大原浩の責任で編集したものです。
★沼⽥榮昭(リアル曼荼羅プロジェクト主宰)、 人間経済科学研究所フェロー
楽天・サイバーエージェントなど有⼒企業の上場を ⼿掛け、⼤和証券株式会社公開引受部勤務時代から 通算して、70社強の株式公開を実現、「伝説の株式 公開請負⼈(⽇経新聞記事より)」と⾔われる。上場会社⽣涯100社構想に向けて、スタートアップ企業の発掘・育成・投資に現在も邁進。
2000年〜2021 年まで21年間、サイバーエージェントの社外役員を務める。⽇本証券アナリスト協会検定会員(証券アナリスト)。
⾼野⼭真⾔宗⼤⽇寺(代々⽊⼋幡)で得度、紫雲⼭宝瑞院(仏教寺院)副住職(就任予定)、復旦⼤学(中国・上海)⽇本研究センター客員研究員、⼤阪⾳楽⼤学客員教授、中華⼈⺠共和国主治中医師(内科)。真⾔密教、統合占星術・星平会海、量⼦⼒学波動デバイスTime Waver等を取り⼊れた「株式公開レベル」の経営⽀援を実施。
★ファイブアイズ・ネットワークス株式会社
〒150-0044 東京都渋⾕区円⼭町5-4
フィールA渋⾕1402号 isao.numata@5is.co.jp
研究調査等紹介
挑戦と失敗
【仏教の表と裏】 世の中は 乗合船の 仮住まい よしあし共に 名所旧跡 (⼀休禅師) この世の中は、様々な⼈達が⼀緒に乗り合っている仮住まいの船、あれ が良い、これが悪いと⾔いながら貴重なこの世の出来事を経験 .....
経営と仏教の真実
【経営者と爬虫類脳】 私は資本主義に嫌気がして仏教を選んだ訳ではなく、むしろ逆で、お金を儲けるにはありのままを見る必要があるとの思いが出家の動機でした。 私は株式公開の専門家で、上場を目指すベンチャーは常に新しいことを考 .....
コインの表と裏
【株式公開と仏教】 <われをつれて、我影帰る月夜かな 山口素堂> 山口素堂は松尾芭蕉の盟友でもあった江戸期の俳人です。 月夜にくっきりと浮かぶ「我が影」が、頼りなさげな「われ」を先導しているかのように見える面白さを詠んだ .....
資本主義と瞑想のただならぬ関係
★「1970年までの『米国革新の世紀」と、これからの米国を語る」からの続きです。 【アーバン・ブッディズム】 もう一つの収穫は、自身が唱えてきた「アーバン・ブッディズム」とは何かが、この書籍(「米国経済成 .....