台湾人は本当に親日なのか?

台湾人は本当に親日なのか?

台湾海峡の緊張が高まる中、日本もその関与姿勢を明確にするよう求められつつあります。
東アジアのシーレーンにとって地政学的に重要な位置にある台湾はまた、住民が世界一の親日家として知られています。
なぜ台湾人の日本に対する感情が肯定的なのかについて、歴史的な経緯や対中関係など様々な理由が挙げられますが、戦後の日本の外交姿勢にも原因があると考えられます。

台湾の歴史を振り返ってみましょう。漢人による台湾の歴史は、17世紀に反清復明運動に参加した鄭成功が当時オランダ統治下の台湾を占拠して樹立した鄭氏政権に始まります。鄭氏政権を制圧した清朝は積極的な台湾島統治を行うこともなく、欧米列強の植民地支配の脅威に備えるため1885年に台湾省が新設されるまで、海禁を行って国民の渡航すら制限していました。

日清戦争の結果台湾は1895年に日本に割譲されましたが、現地でそれに抵抗したのは一部の郷紳や台湾外から赴任していた役人に過ぎず、清代に密航し現地人と混血同化していた住民の大半は当初統治者の交代に大きな興味を示しませんでした。
ただし、台湾総督府の統治が始まると、それまで政府の管理などほとんど受けた経験のない住民との摩擦が頻発します。それは、維新後に幕藩体制から集権国家に代わって統治や課税が厳格化したことが各地で反発を招いた明治初期の日本の状況とも似ています。
その後の50年に及ぶ日本の台湾統治は、経済や社会の発展に加え日本への割譲以前の記憶を持つ住民の減少により次第に肯定的な記憶となりました。日本による統治が35年に過ぎず、李王朝時代の記憶を持つ土着支配階級の両班が社会の中核に多数残っていた朝鮮とは異なる条件下にあったと言えるでしょう。

1945年に日本が敗戦すると、中華民国の台湾接収によって大陸からやって来た「中国人」は腐敗の限りを尽くしました。日本統治下で法治を経験した台湾住民には耐えられるものではなく、その反感は1947年の二二八事件という国民党による激しい弾圧事件を招きました。翌年に敷かれた戒厳令が1987年に解除されるまで、40年にわたって国民の監視と弾圧を行う白色テロの時代が続き、この経験もまた、日本統治に対する肯定的な評価につながります。

白色テロ時代の中華民国は、少数派の外省人が牛耳る国民党による一党独裁国家でした。大陸では共産党が、台湾では国民党が国家の上位にあって指導する似通った体制です。中華民国の国旗のデザインは左上部分にある青天白日が中国国民党の党章であり、国歌は「三民主義は 我が党 の指針」と高らかに謳っています。
国民党が現実性のない大陸反攻を掲げて一つの中国を標榜したのは、大陸各省で選出された万年議員や出身省別の公務員採用割当など、人口の1割余りの外省人が多数派の本省人を抑えて政治的・経済的利権を享受するための手管でした。
外省人はまた、本省人に対する思想的抑圧の一環として日本の植民地支配を受けたことを辱めましたが、そのことは外省人に対する反感もあって日本への怒りにはつながりませんでした。2014年の台北市長選で国民党支持の外省人長老政治家が本省人候補を中傷しようと「日本皇民」と揶揄した際には、世論の反発を浴びて国民党側が謝罪や釈明に追い込まれています。

国民党独裁は1991年に万年議員が一斉引退し、1996年に総統の直接選挙が始まったことでおよそ50年の歴史を終えます。民主化により総統は国民党と民主進歩党の二大政党の間で交代が行われ、立法院議会の趨勢も選挙の度に書き換わる状況となりました。
現在の総統は民進党の蔡英文氏で、立法院の議席数も113議席中民進党が61議席と過半数を制する与党です。とはいえ小選挙区制のため死票も見られ、直近2020年の立法院選挙の得票率は二大政党で拮抗しています。

民主化以降の台湾の政治勢力は、実態を伴わない中華民国の幻想から脱し国民国家を指向する民進党を中心とした泛緑(はんりょく)連盟と、主に経済的な理由から対中関係の現状維持を望む泛藍(はんらん)連盟に二分されて来ました。
民進党は国民党支配下の白色テロ時代に反政府勢力の寄り合い所帯として誕生し、初期の幹部には民主化運動や台湾独立運動の闘士が多かったものの、近年ではその性格も環境や人権問題を重視するリベラル左派へと変化しています。

一方、1990年代以降大陸では改革開放による外資誘致が盛んになり、多くの台湾人は本省人も含めて対中融和的となりました。2000年代には製造業を中心に大陸への投資が拡大し、2010年のピーク時には大陸投資が年間146億米ドルの規模となりました。台湾経済は中国に人質を取られたような恰好となったのです。

しかし、2010年代後半には大陸投資が急速に縮小し、また香港を巡る中国共産党の一国二制度遵守に対する不信感の高まりから泛緑側が優勢となっています。

こうした歴史的、地政学的な要素が台湾人の親日感情に影響を与えていることは確かでしょうが、それだけでは説明し切れないとも考えられます。
台湾が他の東アジア諸国と違って日本に対して謝罪や賠償を過大に要求しないのは、日本による謝罪外交の対象ではなかったことも大きいのではないでしょうか。
第二次世界大戦後、日本のアジア外交は賠償との組み合わせで行われ、円借款や開発援助がばら撒かれました。こうした援助の多くは日本企業の紐付きで、相手国政治家や日本の政治家へのキックバックも公然の秘密でした。
日本国内の世論を刺激せず謝罪と賠償をスムーズに行うためには相手国の対日感情は悪い方が都合よく、日本の侵略戦争を喧伝するマス メディアも謝罪外交に貢献しています。
ところが、中華民国は日華条約で日本の在中資産の譲渡は受けたものの賠償を放棄しており、その後1972年の日中共同声明を受けた日本との国交断絶のため、キックバックを伴う開発援助など謝罪外交の対象にはなりませんでした。

これに対し、中華人民共和国や韓国は対日感情悪化のポーズを取るほどメリットを享受でき、また、内政の不満を逸らす材料としても反日を活用してきました。経済発展を経て日本からの開発援助が減っても、反日は麻薬の様に脱することができなくなっています。やがて国民感情も文化的な刷り込みにより、営業的なポーズから本当に日本を憎む空気へと変化してしまいました。
もし台湾も謝罪外交の対象であった場合、長期にわたって現地で日本に対するネガティブな報道や教育が行われ、国民感情も違ったものになった可能性は否定できないと思われます。

★*藤原 相禅 (ふじわら そうぜん)*

個人投資家

広島大学文学部卒業

日本大学大学院で経済学修士

地方新聞記者、中国・東南アジア市場での先物トレーダーを経て、米国系経済通信社で商品市況を担当。子育てのため一家でニュージーランドに移住。台湾出身の妻の実家が営む健康食品メーカーの経営に参画。

商品相場歴30年余。2010年から原油相場ブログ「油を売る日々 (https://ameblo.jp/sozen22/)」を運営。

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