「ドラッカー18の教え」 第2回 成功する方法は一つではない

経済学は科学では無い 

このように申し上げると多くの反論をいただきそうですが、まず科学とはどのように定義づけられるか検証してみましょう。「科学」のとらえ方にも多々ありますが、「科学的・論理的」に科学を定義づければ、「論理によって説明され、その論理を実験によって繰り返し証明することができるもの」といえるでしょう。つまり、論理的に説明されるだけではなく、その論理が実験によって証明されなければならないということです。もちろん、生きた経済において、実験のための一定の条件を繰り返し準備することなど不可能ですから、経済学は学問ではあっても科学ではないという結論になります。

同じことは「歴史学」「社会学」など他の学問についてもいえます。また、医学のうち、少なくとも「医療」は科学ではありません。実験室で細胞を培養したり遺伝子を操作することは科学であるかもしれませんが、患者を治療することはむしろ科学であってはなりません。なぜなら、治療を求める患者をモルモット代わりにして人体実験を行うことなど現代の文明社会では到底許されないことだからです。

企業や経済のかかりつけ医(ホームドクター)とでも呼ぶべきドラッカーも、同じように経済学は科学ではないと述べています。「患者たる企業や経済が病に苦しんでいるのに、個々の企業や経済の病状など顧みず、まるでアインシュタインの相対性理論のような普遍的な理論を求め続けているために、現在の経済学が役に立たないのだ」と、ドラッカーは鋭く指摘しています。

観察者(傍観者)であるべし 

ドラッカーの著書の中で一冊だけを選ぶとすればどれか?という質問には多くの答えがあるでしょうが、「現代の経営」をあげられる方が多いようです。確かに「マネジメントの権威」というドラッカーの一般的イメージからいえばそうなるのかもしれません。

しかし私は、「傍観者の時代」だと思います。ドラッカーの自伝的要素が強い本ですが、この本にこそ、「いったい何によってドラッカーの経済・ビジネスに関する理論体系が構築されたのか?」という最も根本的かつ重要なことが詳細に描かれています。本人が十分認識しているように、ドラッカーは科学者でも理論家でも実業家でもありません。優れた傍観者(観察者)なのです。

ただ、傍観者といっても遠くから眺めているだけではありません。例えば生物学でいえば、沼地に入り込んで泥だらけになりながら虫たちの動きを観察する、というようなフィールドワークを果敢にこなしているのです。

ドラッカーがコンサルティングを引き受けたのは、世に知られるGEやGMなどの大企業だけではありません。数多くの中堅・中小企業以外にも病院をはじめとする非営利機関のコンサルティングも多数こなしました。その中でドラッカーが感じたのは、マネジメント手法などに共通項はあるものの、それぞれの組織にはそれぞれの成功法があるということです。

例えば生物学の例をあげれば、ライオンとサルのどちらが成功しているかを論じても意味がありません。それぞれのやり方で生き残っているだけで、どちらかに優劣があるわけではありません。また、人間が一番進化しているなどいう考えは傲慢にしかすぎません。愚かにも核戦争で人類が滅亡した後の勝者はたぶんゴキブリや微生物でしょうし、もし核戦争が無くても1万年後(人類の文明は1万年程度とされています)、100万年後、1億年後の人類がどうなっているのかは全く見当もつきません。

実際、GEと全国規模の病院チェーンをどのような基準で比較したらよいのか皆目見当がつきませんし、トヨタ自動車とアマゾンのどちらが優れた企業なのか議論しても決着がつかないでしょう。

それぞれの正解 

ただ、ドラッカーが指摘するのは、「たった一つの正解」は存在しない経済やビジネスにおいても、「それぞれの正解」は存在するということであり、その「それぞれの正解」は、じっくり丹念に対象を観察することによってある程度導き出せるということです。

「名医の条件」を考えてみるとわかりやすいかもしれません。病院に行くと、予約をしているのにも関わらず長時間待たされることが珍しくなく「3時間待ちの3分治療」などともいわれますが、名医は実際の患者を診察(観察)し、患者の訴えに真摯に耳を傾けなければなりません。同じ症状であっても患者によってその原因は異なるわけですから、まずその原因を突き止めなければ正しい治療はできません。また薬も個人によって利き方が異なりますし、全く効果が無い人もいれば場合によっては副作用で死に至る人もいます。パッと見で適当に薬を出すのは到底名医とは言えません。

ドラッカーは、特に米国においてMBAホルダーの若者が、実務経験(フィールドワーク)無しに、学校で教わった机上の空論でマネジメントを行うことに対して大変な危惧を抱いています。このような傾向は、企業の経営を間違った方向へ導くだけではなく、MBAホルダーの若者の人生をメタクチャにしてしまうというのです。若いときに実務経験もなく重要な仕事を任された若者が成功する確率は低く、しかも傲慢になる可能性が高いわけですから、その後の人生は容易に想像できるというわけです。

つまり、「正解には無数のバリエーションがあるけれども、正解を見つけることができる手法はごくわずかである」ということです。

ドラッカーは、正解を見つけるために本部スタッフは定期的に現場で働くべきであると主張します。そのドラッカーの教えの優等生はトヨタ自動車かもしれません。トヨタの経営手法というと「カイゼン」や「カンバン方式」が有名ですが、それらは表に現れた形で、トヨタの経営哲学の真髄は「現地・現物」にあります。「社長であろうと誰であろうと、自分の考え(提案)の正しさは、実際に工場や販売店に行って確かめる」。この哲学こそが、トヨタ自動車が、確実に自分自身の正解を見つけ、成功し続ける秘密です。 

答えではなく質問が大事 

ドラッカーは、「最悪なのは間違った答えではなく、間違った問いに対する正しい答えだ」といいます。例えば「100人余剰人員がいるから、どのように退職させるか」という問いに対する「退職金を割り増しにして希望退職を募集する」というのは正しい答えかもしれません。しかし、「余剰人員をどのように退職させるべきか?」という問い自体が間違っている可能性があります。全員の給与をカットしても雇用を維持すべきかもしれません。最初の問いが正しいかどうかが一番重要なのです。

ちなみに、トヨタ自動車のもう一つの重要な哲学は「5回質問しろ!」というものです。もちろん同じ質問をオウムのように5回繰り返すわけではありません。例えば「工場のラインでなぜ不良品が出るのか」というのが1番目の質問だとしたら、「その原因になっているネジしめ機のメンテナンスがなぜうまく行われないのか」というのが2番目の質問です。そして、「メンテナンス担当者のシフトがうまく組まれていない」としたら、「それはなぜか」という3番目の質問をするわけです。

ここにもトヨタ自動車が「自分自身の正解」を導くことができる秘密が隠されています。

<文責:大原浩>

★産業新潮社(「産業新潮」)HP

http://sangyoshincho.world.coocan.jp/

 

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