「ドラッカー18の教え」 第8回 人間の手だけを雇うことはできない

猫の手も借りたい 

「猫の手も借りたい」という慣用句があります。実際に役に立つかどうかは別にして・・・忙しい時には「猫の手」でさえ頼りにしてしまうという意味です。もっとも「猫の手」だけを切り取って持ってきても仕方がありません(少しシュールな表現ですが・・・)。同じように「人手不足」の会社に切り取った人間の手をすらっと並べても何の役にも立ちません。

猫や人間の手は本体(胴、頭、足など)が一緒になっていてこそ初めて役に立ちます。さらに、少なくとも人間の本体(多分猫もそうではないかと思いますが・・・)には「心」が付いてきます。この心がドラッカーのいうところの「ビジネスにおいて最も厄介なもの」ですが、その「ビジネスにおいて最も厄介なもの」である心こそが、「利益を生み出す唯一の源泉」であるのも事実です。なぜなら、どのような最新鋭設備を備えた工場も、豪華絢爛なレストランも、多数の商品を備えた小売店も「心を持った人間」が稼働・運営しなければ絶対に利益を生むことはありません。人間が稼働・運営しない工場や店舗などはただ存在しているだけのガラクタにしかすぎません。

自動販売機やオートメーション工場はどうなのか?という議論があるかもしれません。しかし、少なくとも現在のところ、自動販売機をどこに設置するのか、どのような商品を販売しどのような販売価格にするのかは人間が決めますし、商品補充も人間が行います。オートメーション工場も、最終的な管理や危機管理などは人間が行います。

これからAIが、このような「判断」などを行うようになる可能性もありますが、すくなくともそれまでは「心を備えた人間という最も厄介なもの」がビジネス(企業経営)における収益最大化の最大の鍵となります。

合理的経済人は存在するか? 

経済学においては、「合理的経済人」なる概念が登場し、経済モデルを構築するときなどによく使われますが、実際のところ「経済合理性」だけで行動する人間などこの世に存在するのでしょうか?

もちろん、「損得」が人間の心や行動に大きな影響を与えることを否定できません。同じ商品であれば、価格の安い方を購入するのが普通ですし、同じ仕事ならば給料が高い方が良いに決まっています。しかし世の中には、一個数千円のデジタル時計ではなく手作業で組み立てた一個数千万円の機械式腕時計を身に付ける人がいます。時を刻む正確さはむしろデジタル時計の方が上かもしれません。あるいは、自宅で飲めば一本数千円のシャンパンを銀座のクラブで数万円・数十万円払って飲む人がいます。また、ボクサーの大部分は、とんかつ屋などでアルバイトしながら世界チャンピオンを目指しますが、実際に世界チャンピオンになれる可能性はほとんどありません。劇団員の多くも、アルバイトをするだけではなく、(自分が出演する公演の)入場券を自腹で購入さえします。

このようなケースはまだまだいくらでもあげることができます。そのようなたくさんの例を見ると、「人間がどれほど『経済的非合理人』(=心によって動かされる存在)であるかがよくわかります。

経済学や経営学の理論の多くがビジネスの実戦でほとんど役に立たないのは、「合理的経済人」なるものが実際に存在するという「迷信」にとらわれているからかもしれません。それに対して、ドラッカーは、「人間の手だけを雇うことはできない」という言葉で、「人間という(非合理で)厄介なもの」こそが、ビジネスの中心であり、その人間の非合理性を読み解きマネジメントすることが重要だと述べています。

不合理なものは確かめなければならない 

ドラッカーの著作はいずれも優れたものですが、その中で私が最も多くを学んだのは「傍観者の時代」です。自伝的要素を含む内容ですが、そこで描かれているのは「ドラッカーがどのようにして傍観者=『優れた観察者』」になったのかという物語です。

人間というものは不合理であるとともに、他方では「理屈にこだわる」存在でもあります。物事を理論体系の中に収めてコントールしなければ落ち着かない動物と言い換えることもできるでしょう。この理論と体系にこだわる人間の性質は、自然科学分野の研究では大いに役立ちました。数学・物理学等々、人間のこの性質無しでの発展はありえなかったでしょう。それに対して経済学や経営学は「不合理な人間」が主役の『人間学』です。不合理なものをいくら理屈でこねくり回しても理解できません。

不合理な人間が主体のビジネスや経営は、曇りの無い目で観察して初めて理解できるのです。ドラッカーが、MBAを取ったばかりの机上の空論を振りかざす若者がいきなり本社勤務になることを危惧するのも、人間をしっかりと観察したことが無い人間に経営やビジネスは理解できないからです。

情報は理論、コミュニケーションは感情 

現代の知識労働者が関わるビジネスにおいて「情報」は極めて重要なものですが、それはあくまで素材・道具にしかすぎません。言ってみれば、最新鋭の工場・設備や豪華な店舗と同じで、それ自身は収益を生み出すことができません。コミュニケーションという人間の(不合理な)感情が加わってこそ稼働・運営されるのです。

例えば「合理的経済人」と同じように「合理的情報人」という存在をイメージしてみましょう。それがいかに馬鹿げた概念かがすぐに分かります。

もちろん、損得は情報の伝達においても重要です。しかし、情報の伝達が損得だけで行われるのではないことも容易に理解できるはずです。よく一緒に飲みに行く仲の良い同僚との情報のやり取りはスムーズですが、顔を見るのも嫌だというような同僚との情報伝達は当然のごとくうまくいきません。上司と部下との間でも同じです。コミュニケーションがうまくいっていなければ上からの一方的な情報の流れになるでしょう。逆に良好な関係を保っていれば、下から上への情報伝達がスムーズに行くだけではなく、上からの「公式情報」だけでなく、阿吽の呼吸の類の「非公式情報」もうまく伝わるようになります。

そもそも、情報の価値はその情報を共有している人間の数に反比例します。つまり、情報が広がって多くの人が知るようになればその価値は下がるということです。ですから、情報が(インターネットなどで)拡散する前の非公式情報こそが最も価値があると言えます。

そして、非公式情報はネットや活字では伝わりません。あくまで、少人数のフェイス・トゥー・フェイスでの伝達が基本です。だからこそ、そのような非公式情報を求めて、多くの産業の代表的企業が物理的にごく狭い地域に集中するのです。シリコンバレーが代表例でしょうか?ネット企業ならメールや電話会議でのコミュニケーションで十分ではないかと思われるかもしれませんが、どのようなビジネスにおいてもフェイス・トゥー・フェィスのコミュニケーションは不可欠ですし、むしろ情報が基盤となるネット企業の方がフェイス・トゥー・フェィスでの情報交換が重要だと言えます。

人間は面倒くさい存在である 

これまで述べたように人間は非合理で取り扱いが面倒くさい存在ですが、同時にビジネスの基盤であり、その基盤をうまく活用するために重要な存在なのがマネジメントなのです。

<文責:大原浩>

★産業新潮社(「産業新潮」)HP

http://sangyoshincho.world.coocan.jp/

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